東京の中心街・新宿。
ビビッドな繁華街のイメージを持つ歌舞伎町やゴールデン街を抜けると、規則正しくビルが立ち並ぶ質素なオフィス街へと行き着く。喧騒と静寂、混沌と秩序。相反する表情を併せ持つこの街は、まるで一つの巨大な生命体として絶えず息をしているようだ。
サラリーマンから観光客まで、日々多くの人が行き交うこの街は、実は知る人ぞ知る映画館の激戦区でもある。
新宿といえば、やはりあの巨大なゴジラ像が聳え立つ新宿TOHOシネマズに目を奪われがちだが、少し視線を広げれば、新宿ピカデリー、テアトル新宿、新宿武蔵野館、新宿バルト9など、個性豊かな映画館が肩を並べている。新宿に降り立てば、まず、映画に困ることはないだろう。
多様な人々、多様な文化、そして無数の物語が交差するこの街は、しばしば映画の舞台としても注目を浴びる。
今回は、そんな「新宿」を舞台に、異なる切り口から描かれた3つの物語を紹介する。
『炎上』
小林 樹理恵(森七菜)はあるカルト宗教の信者の家の子として妹と共に厳しく教育され育つ。2人は毎日訪れる辛い日々が消えるよう、そして教育熱心な父がいなくなるよう神様にお願いをしてきた。数年後。願いが叶い突然父親が亡くなる。しかし、父親がいなくなっただけで母親から教育を受け続ける現実は変わらない。ついに樹理恵は母の目を盗み、妹を残して家を飛び出してしまう。行き場のない樹理恵の SNS に届いた DM を頼りに向かうと、そこには若者たちがたむろしている広場が。そこで【じゅじゅ】という名前をもらい、寝る場所、食べ物、スマホをもらい、そして仕事をもらい、1人で母親の元に置いてきた妹を連れ出し、共に暮らすという“夢”をもらったはずだった。(引用:filmarks公式)
どこまで逃げたら、この絶望から抜け出せるのだろう。人道の欠片もない「生き地獄」の生活から逃げ出した先に広がっていたのは、オアシスとは言い難い、寸分ばかりマシな混沌だった。
しかし樹理恵は、そんなカオスでさえ容易に受け入れてしまえるほどに、すっかり生気を失っていた。
新宿歌舞伎町のトー横界隈では、小学生から老人に至るまで、帰る場所を失くしたあらゆる人々が生活を共にしている。来る者拒まずの空気感に呑み込まれた人々は、みな恍惚の笑みを浮かべ、樹理恵もまたその一人となっていく。
そして、そこが本当に彼女の行き着くべき場所だったのかもしれないと、束の間本気で思い込んでしまうほどの安堵の表情がスクリーンに繰り返し映し出される。
しかし、目的もなく浮浪することが果たして真の救済と言えるのか。観客の頭には、そんな疑問がよぎるだろう。
ある人にとっては不要で、排除されても気付きすらしないものだとしても、それを渇望するマイノリティは確かに存在する。それでも、狂った正常が善とみなされる日は簡単には訪れまい。
躁と鬱の激しい振れ幅を、先鋭的な映像表現とともに描き出すことで、類い稀な黒い光を放った作品である。
映画の見どころ
アンダーグラウンドな新宿の光景は、現在進行形で排除されつつあります。本作は、「トー横界隈」に集う人々に焦点を当てながらも、啓蒙映画やドキュメンタリーの形式には回収されず、あくまで物語として成立しているのが大きな魅力です。
また、最先端のAI技術を用いる一方で、デジカメや古いiPhoneといったオールドメディアも巧みに織り交ぜた演出は、唯一無二の映像体験を生み出しています。
さらに、長久允監督が自ら現場に足を運び、フィールドワークを通して掬い上げた彼らの生の声は総合芸術として昇華され、私たちの五感を震撼させることでしょう。
『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』
これは事実を基にした物語。1978年、偶然ラジオから流れたセックス・ピストルズに衝き動かされ、⽥舎から上京した⻘年カメラマンのユーイチは、⼩さなロックミニコミ雑誌「ロッキンドール」に出会い、とあるライブハウスへと⾜を運ぶ。そこで出会ったボーカルのモモ率いるバンド「TOKAGE」のライブに衝撃を受け、無我夢中でシャッターを押した。そこは⾳楽もバンドも観客たちも何にも縛られない⽣のエネルギーに溢れた異空間だった。正式にカメラマンとしてライブの撮影を依頼されたユーイチはモモたちと交流を重ねる。やがて彼らの⾳楽は瞬く間に若者たちを熱狂させ、そのムーブメントは“東京ロッカーズ”と呼ばれ、⽇本のロックを塗り替えていく。世界を変えたのは、才能だけじゃない。⾳に賭けた、名もなき若者たちの衝動だった。(引用:filmarks公式)
無我夢中に奔放に、自らの衝動をリズムに変換しながら、ステップを刻む。
わずか一年の間に、これほどまでに大きなムーブメントを起こした若者たちは、これまで存在しただろうか。敷かれたレールの上を歩く人生などとうに捨て、覚めやらぬ夢や希望を胸に抱いて我が道を切り開く彼らの姿は逞しくてならない。
フライヤーに写る新宿LOFTは、彼らにとって最大の表現の場であり、心に炎を宿したバンドマンたちがしのぎを削る戦場でもあった。フラストレーションを音楽へと昇華するように、多くの表現者がこの場所へ集い、自らの魂を解き放っていく。
モモ率いる「TOKAGE」は、瞬く間にその名を世間に轟かせていく。しかし、一見華やかな成功に見えるものでも、その裏には知られざる葛藤が存在するものである。規模が大きくなればなるほど、多くの人々の思惑が交錯し、純粋に自分たちのやりたい音楽だけを貫くことが容易ではなくなってしまうからだ。そんな壁に衝突してしまった彼らが下した選択は、どのようなものであれど美しいに違いない。
今日では当たり前のように浸透している「オールスタンディング」や「インディーズ」といった文化や概念が、いかにして生まれたのか。その背景を、どうして知らずにいられようか。私たちは時代を超え、迸るパンクスピリットのもとで新たなカルチャーが胎動する、その黎明の瞬間をスクリーン越しに目撃することになるのだ。
革命を起こすのはいつだって、常軌を逸した発想を信じ抜いた者たち。
流行を正義とする風潮や、一種の政治性に抗い続けた少年たちの行末は――。
映画の見どころ
本作の魅力は、当時の空気を蘇生するかのような再現度の高さと、パンクロックへの深いリスペクトにあります。核となるライブシーンでは、当時実際に鳴らされていたバンドの音源がそのまま使用されており、むき出しの熱量がスクリーン越しにも生々しく伝わってくることでしょう。さらに、ところどころに挿し込まれるライブ写真は、峯田和伸演じるカメラマン・地引本人が実際に撮影したものです。
そして何より特筆すべきなのは、峯田和伸自身が銀杏BOYZの活動を通してパンクの衝動を体現してきた人物であるということです。本来ならば「鳴らす側」にいるはずの峯田が、本作では時代の隆盛を見届ける立場にいるという斬新な構図には、考えさせられるものがあります。
『ロスト・イン・トランスレーション』
ウイスキーのコマーシャル撮影のために来日したハリウッドスターのボブと、フォトグラファーの夫の仕事に伴って来日した若妻のシャーロット。同じホテルで偶然出会い打ち解けたふたりは、見知らぬ土地で時間を共有するうちに、いつしか惹かれ合っていく。(引用:filmarks公式)
言語も違えば、価値観も違う、そんな見知らぬ地でひとりぼっちになった時の居心地の悪さと言ったら、簡単に形容できるものではない。『ロスト・イン・トランスレーション』が公開された2003年は、まだスマートフォンが普及していない時代だったからこそ、その孤独はいっそう色濃いものだったに違いない。
本作は、日本に降り立った男女のひとときの邂逅を描く。
通訳者を介して思いを伝えようとしても、なぜか空回りしてしまって、うまく意思疎通が図れない。テレビを付ければ異国の言葉がマシンガンのように流れ出すばかりで、地に足のつかない孤独な日々を過ごすボブ。そんな彼と同じように、どこかやりきれなさを抱えてメランコリーに沈むシャーロット。
『ロスト・イン・トランスレーション』。文字通り、異国での意思疎通ができず路頭に迷った二人が出会う物語だが、本作が提示するメッセージはそんな単純なものにとどまらない。
はたして人は、言葉が通じれば分かり合えるものなのか。対話が可能であることと、心を交わすことは同義であると言えるのか。
様々な孤独の形を描きながらも、そんな普遍的な問いを私たちに投げかける。そして同時に、いたたまれない虚しさにそっと肩を並べてくれるような、あたたかさに溢れた作品である。
映画の見どころ
監督のソフィア・コッポラはアメリカ出身の映画監督です。彼女は西新宿に位置するパークハイアット東京を中心に、その周辺の景色を色鮮やかにフィルムに収めました。
異国のまなざしを通して映し出される都会の情景やアジア人のステレオタイプからは、国内映画とは異なる独特な雰囲気を味わえます。
また、作中では当時の新宿の街並みがコンスタントに映し出されます。20年以上前の光景を現代の街と重ね合わせることで、新たな発見があることでしょう。
最後に
今回紹介した三作はいずれも「新宿」を舞台にしながら、その趣はまったく異なります。スクリーンを通して「新宿」という街を見つめ直すことで、いつもの日常が少しだけ豊かに映るかもしれません。
