忙しない日々の中でも、カルチャーに触れていたい。
とはいえ、時間を縫うようにして手に入れた自由時間では、何を観ても集中できなくて勿体無い。
ただただ頭の中を空にして、何も考えずに観れる作品はないか。
そう思っているあなたにオススメしたい邦画を三つ紹介する。
『アット・ザ・ベンチ』(86分) 一つのベンチから5つの物語
どんな映画?
舞台は川沿いに佇む一つのベンチ。ここには、たくさんの記憶が刻まれている。
久しぶりに再会する幼馴染たち、口論から別れ話が始まるカップル、家出した姉とそれを探しにきた妹。
泣いて笑って怒って、描かれるのは決していい思い出だけではないけれど、見ていると自然と心が安らぐような、風通しの良い会話劇が繰り広げられる。
けれど、このベンチに刻まれている物語は、私たちが観る5つだけではない。
この場所は、私たちよりもはるか昔から存在していて、これまでにも数えきれないほどの人が腰を掛け、笑い、泣き、誰かと語り合ってきたはずだ。映画で描かれる5つの物語も、その場所に刻まれた膨大な記憶のごく一部に過ぎない。
そう考えると、いつも何気なく通り過ぎている場所にも、自分の知らない誰かの物語が確かに存在しているのだと思えてくる。
あらゆる場所に、自分以外の誰かの人生が積み重なっている。そんな当たり前のことに気づかせてくれるからこそ、この映画を観たあとには、見知らぬ人と、そして場所と、ほんの少しだけ繋がれたような喜びが残る。
この映画のココが凄い!
監督を務める奥村由之さんは、『秒速5センチメートル』やnever young beachのMV「お別れの歌」などを手がけてきた、気鋭の監督・写真家です。
本作は、そんな奥村さんが自主制作で手がけたオムニバス短編映画。広瀬すずさん、森七菜さん、今田美桜さん、中野大賀さんなど、豪華なキャストが集結しており、鑑賞前から期待が高まります。
さらに注目したいのが、5つの物語を彩る脚本家たち。第2編は、2026年に岸田國士戯曲賞を受賞したダウ90000の蓮見翔さん、第1編・第5編は、ドラマ『Tシャツが乾くまで』などを手がけた生方美久さんが担当しています。
キャストも脚本家も個性豊かだからこそ、5つの物語はそれぞれ異なる味わい深さがあります。最後まで飽きることなく楽しめる、充実した86分間です。
『結局珈琲』(55分) 喫茶店の記憶そのもの
どんな映画?
副題は、「一人になりたくて、なりたくない私たち」。
一人で喫茶店にいると、ふと知らない人の会話に耳を傾けてしまうことがある。
そんな時、他人のはずなのになぜか少しだけ近くなれたような気がする。
主人公・青木は行きつけの喫茶店・こはぜ珈琲で珈琲を飲みながら本を読んでいる。しかし、彼女の目的は珈琲だけではない。
店に訪れる二人の男たちの、まるで漫才のような掛け合いを盗み聞きすること。それが、彼女の密かな楽しみなのだ。
思わずぽろりと笑みがこぼれるような会話劇に、今日もページを捲る手が止まる。
名前も知らない誰かの話を聞くこと。それ自体は、世間的にはあまり好印象ではないかもしれない。
けれど、繋がらなくてもいい距離感が、むしろ心地よかったりする。気づけば頭の中で一人ツッコミを入れている。そして、会話はくだらなければくだらないほど、なぜか聞き応えがある。
店員と常連客の個性あふれる物語が、時空を超えて今ここに。
この映画のココが凄い!
本作は、約18年間の歴史を誇る「こはぜ珈琲」の移転に際して、それまでの記憶と思い出を残すために制作されたメモリアル映画です。2025年5月に閉店した旧店舗と、翌月から営業を開始した新店舗。その二つを繋ぐ架け橋となるような作品です。
たった二つの舞台から、ここまで想像の広がる物語を生み出した脚本家の細井じゅんさんは、監督を務めるだけでなく、作中のメインキャラクターとしても登場しています。
それぞれのシーンは、店内の限られた空間を駆使して少数精鋭で撮影されたそうですが、まるでその場に居合わせているかのような臨場感があり、かつてそこに漂っていた空気ごと見事に切り取っています。
また、「こはぜ珈琲」は街に溶け込む、親しみ深い喫茶店としても知られています。ブレンドコーヒーは¥350と、味わいからは想像できないほどリーズナブル。新店舗の一角には本作の巨大ポスターがどんと貼られ、演者のサイン入り色紙や、ファンが自由に書き込める落書きノートなども並んでいます。鑑賞後に足を運んでみると、より一層作品を堪能できるでしょう。
『床一面こんな感じ』(61分) ウルトラハイパーベストフレンド大掃除映画
どんな映画?
「別にいいんだけどさ」から始まる会話は、大抵、別によくない。
シェアハウスで暮らすことりとすずかは、親友でありながら、お互いの生活に小さな不満を抱えている。
でも、そのどれもが、わざわざ目くじらを立てるほどのことではない。だからこそ、言うに言えないまま、少しずつ積み重なっていく。
そんな二人が生活のルールを決めあぐねている中、突如決まった、憧れのイケメン・栗田さんの訪問。
しかし、なんと言っても部屋が汚い。
床一面に脱ぎっぱなしの服。捨てられていない空のペットボトル。とても人を迎えられるような状態ではない。
それなのに、久しぶりに引っ張り出した小物を見つけると、二人は片付けそっちのけで遊び始めてしまう。
果たして彼女たちは、憧れの栗田さんを無事に歓迎することができるのか?
くだらないようでいて、どこか身に覚えのある二人のやりとり。その行方と、予想外のラストから目が離せない。
この映画のココが凄い!
これは、さまざまなハプニングを通して、天真爛漫な彼女たちが「誰かと共に生きること」に向き合う物語です。
恋人同士の同棲生活を描いた作品は数多くありますが、女性同士のシェアハウスを題材にした作品は、そう多くありません。
男女の色恋なしに共同生活を見つめてみると、誰かと暮らすことの難しさが、より分かりやすく浮かび上がります。生活のリズムに正解はないはずなのに、少しペースが違うだけで、なぜか距離を感じてしまう。
仲良しでシェアハウスを始めたはずなのに、今度は近すぎる距離感が二人を困らせてしまう。でも、お互いに譲り合えるほど大人にもなれなくて。
価値観の違いは、決して悪いことではない。けれど、だからといって、その違和感を無視したまま一緒に生きていくのも、きっと違う。そんな考えが、彼女たちの頭の中をぐるぐると巡っているような余白が、作中に漂っています。
それでも、自分に正直に生きる二人の姿が、可愛くて、美しくて、どうしようもなく愛おしい。この「ウルトラハイパーベストフレンド大掃除映画」に、誰もが胸のときめき隠せないでしょう。
おわりに
日常を作品として描くことは、取るに足らない出来事のひとつひとつに、丁寧に名前を付けていくような、一見すると矛盾した行為にも思える。しかし、私たちの日々を振り返ってみれば、そんなありふれた出来事こそが、実はかけがえのないものだったりする。
たとえ大きな事件が起こらなくても、他愛のない会話やくだらない時間の中には、確かに物語がある。そして、その何気ない瞬間がどうしようもなく愛おしいものであることを、映画はいつだって教えてくれる。
