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『aftersun』美しい思い出か、美化された記憶か

私たちは時として不意に、子供の頃に見た景色や家族と過ごした時間を「美しい思い出」として振り返ることがあるだろう。しかし、それは本当に美しい思い出なのだろうか。

時間の経過の中で少しずつ美化された、主観的に再構成された「記憶」を思い出しているだけなのではないか。

そして、実際にこの思い出を生きていた頃の自分を映像として見返せば、この問いの真相には近づくことができるのだろうか。

2022年に公開された映画『aftersun/アフターサン』は、11歳の主人公ソフィーと31歳の父カラムが一緒に過ごした最後の旅行の記憶を巡る物語である。

本作では、映像に残された事実と、年月を経て形を変えていく記憶の間を描き、私たちにこのような問いかけをする。

あの頃の思い出は本当に美しかったのか、単に美化された記憶なのか。

あらすじ

1990年代、イギリスに住む11歳の主人公ソフィーは、円満に離婚している31歳の若い父親カラムと一緒にトルコへ旅行に行く。ソフィーはこの旅行を手持ちのビデオカメラで録画し、この映像は映画中に散りばめられている。ソフィーは旅行先で様々な観光客と仲良くなり同年代の少年とも遊ぶようになるのに対して、父のカラムは鬱や不安、内的葛藤の症状を見せながらも、ソフィーの前では平然を装う。海やプールで泳ぎ、カラオケを他の観光客と共に楽しんだりと、そこには親子が和やかに旅行を満喫している姿が映っている。

しかし、本作中ではカラムが、ソフィーが海の中で失くしてしまった高価なゴーグルに対して若干の後悔を見せたり、二人で気に入ったトルコ絨毯を躊躇しながらも購入したり、心を落ち着かせるために太極拳をしたり、ソフィーと喧嘩になり別々で行動した夜には、海に行き真っ直ぐと波の中へ歩いた後、全裸でベッド横で咽び泣き眠るような姿も映っている。娘の前では努めて平穏な姿を装うカラムの心の中では、経済的・心理的な負担が刻一刻と彼の生きる望みに迫っていることが暗示されている。

二人は旅行の最終日にクイーンの「アンダー・プレッシャー」に合わせて踊り、お互いの愛を分かち合う。翌朝の空港にて、カラムは手を振るソフィーを撮影しながら、彼女を母親の元に帰す飛行機に送り出す。

31歳になったソフィーはこの旅行の残された映像を見ながら、父が何を抱えていたのか、父に何が起きてしまったのかを理解しようと記憶を辿る。本作の所々には、真っ暗な部屋でストロボの光の中を人々が踊るレイヴが、抽象的な夢のようにモンタージュとして挿入されている。大人になったソフィーはこのレイヴの中に立ち、踊り狂う父カラムに近づこうとして最後には抱きつくが、彼はすぐに闇の中へと落ちていってしまう。

カラムはソフィーを空港で送り出した後、カメラを片づけながら歩き、廊下の先にあるドアを開け、レイヴの中へと迷い込むのであった。

人物分析

記憶の中の父親と、一人の大人としてのカラム

本作中では早々から、カラムはソフィーに気づかれないように静かに鬱と戦っていることがわかる。

初めて二人が宿に着いた時にソフィーが寝た後にベランダで煙草を吸って気を休める姿や、太極拳を雄大な自然の中で行ったり、他の大人との会話の中で「自分が30歳になるとは思ってなかった、40歳にはなれないと思う」などと言い残したり、観客である我々には彼が内なる不安を抱えていることは明らかである。絨毯を戸惑いながらもソフィーがいない時に購入するシーンは、彼が財政的にも苦しんでいることが見て取れるシーンである。

カラムが何で悩んでいるのかや、実際にうつ病を患っているのかは不明だが、本作は11歳のソフィーの視点から描かれ観客は彼女が知っている情報しか与えられないため、この曖昧さは監督の意図であると言える。

31歳になった大人のソフィーが旅行の映像を見返しているのは、かつて自分が知っていると思っていた父親が実際には別人であり、思い描いていた父と映像に残るカラムとの溝を埋めるためだったのではないか。

11歳のソフィーと、31歳のソフィー

11歳のソフィーは父がどんな苦悩を抱えているのかはわからない。たまに忍者のようなポーズを取ったり、おかしな踊りをしたり、自分と遊んでくれる父親にすぎない。31歳の誕生日を迎えたソフィーでさえ彼の苦悶は分かり得ないことではあるが、残っている映像を通して父を理解しようとする。

11歳のソフィーが思い出を「作る」主体になっているのに対し、31歳のソフィーは思い出を客体として「分析する」主体へと変わっているのである。

父をあの頃もっとよく理解できていたら救うことができたかもしれないと思うからこそ、大人になったソフィーは11歳の自分の記憶を巡りながら録画を見返すのではないだろうか。

映画に登場するモチーフ

誕生日

映画の冒頭のシーンで、父親が31歳の誕生日を迎えたことに対して、ソフィーは冗談で「131歳になった気分はどう?」と投げかけたり、「11歳の頃、31歳の自分は何をしていると思った?」などと問いかける。

ソフィーにとって「31歳」とは遥か未来のことのように思えてしまうが、カラムにとっては一瞬の出来事のように感じられている。ソフィーにとって誕生日は、人生の新たな章の始まりを意味するのに対し、カラムにとっては今後も続く苦痛を意味しているのだ。

これは、ソフィーがサプライズで他の観光客と一緒に父に向けて誕生日の歌を歌った際に、カラムが何の表情も見せず、映画では彼がベッド横で咽び泣く映像が重ねられることからわかる。

レイヴ

本作中には、所々にレイヴのシーンが挿入されている。真っ暗な部屋の中でストロボの光が無造作に照らされ、人々が踊る混沌とした空間は、非常に抽象的なシーンであり、大人になったソフィーと亡くなったカラムの意識と無意識の狭間のような場所だと考えられる。

幼い頃は理解できなかったかもしれないが、大人になった今では理解できるかもしれないという一心で、ソフィーはこの空間で父を探す。

映画の終盤では、ソフィーはこの空間で踊る父親と対峙し、ソフィーは怒った表情で何かを訴えて抱きつくが、カラムはすぐさま闇の中へと落ちていってしまう。

ようやく父と対峙できたソフィーは怒った表情で何を訴えたのだろうか。

それは、娘の前で平然を装おうとして楽しそうに踊る父親を叱責し、自分が抱える苦悩と向き合うことを願う娘の切実な訴えだったのではないか。

レイヴのシーンは、大人になったソフィーが唯一、父親に接近できる形而上の空間を象徴しているのだと考える。

最後に

あの頃の思い出は本当に美しいのか、単に美化された記憶なのか。

『aftersun/アフターサン』において重要なのは、思い出の美しさは真偽という二項対立では判定できないということである。

11歳のソフィーにとって、父親との旅行が楽しかったことは事実だ。31歳になったソフィーは、当時の父に隠れていた不安や孤独を見出そうとするが、カラムという人物の全てを理解することはできない。

重要なのは、美化された記憶であったとしてもソフィーが父親から感じた愛情が嘘になるわけではなく、記憶の中で生き続けるカラムにこそ美しさが宿るのであるということだろう。

静かなトーンと控えめなペーシングで進む本作は単に父娘の旅行の話ではなく、記憶の中の父親と向き合い、大人になったソフィーの視点で旅行を見つめ直す、数々のモチーフに富んだ「記憶」と「思い出」をめぐる物語である。

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