心理士の稲村です。
「学校に行く意味ってあるの?」10代のみなさんは小学校、中学校、高校と進んでいく中で一度は思ったことがあるのではないでしょうか?
今回は「学校に行く意味」についてお話していきます。
高校は義務教育ではない
日本では、義務教育期間(小学校・中学校)の9年間以外は、自由選択で進学が可能です。進学は強制ではありません。
私が中学生だった40年前は、高校以外にも公立の職業訓練学校や美容専門学校へ進む同級生もいたり、卒業後板前さんや、大工さんの修行に出る子もいました。家庭の金銭的な事情が子ども達にダイレクトに影響していた頃なので、今よりももう少し進学や就学に対する考え方がシンプルだったように思います。
そんな時代だったので、勉強が大嫌い!という子は高校に進学しなくても、さっさと「社会勉強」に出てしまえば良かったのです。
学校は大人になるまでのモラトリアム
話は少しそれますが、皆さんは「モラトリアム」という言葉を知っていますか?(全然難しくないので、とばさず読んでみてね)
経済用語では「支払いを猶予する期間」のことを指しますが、心理学では「大人になるまでの猶予期間」「子どもと、大人の境目をうろうろしている時期」のことを言います。心理学者のエリクソン(Erik Homburger Erikson / 1902-1994)は、産業化や情報化の進んだ社会では、身体面で成長をとげただけでは、社会的に豊かな生活を営むことは難しいとしています。心理面や、様々な能力を発達させるために必要な猶予期間が青年期だと考えられているのです。
簡単に言えば、「大人になるまでに、色々知るためのお試し期間」といったところでしょうか。
話を戻しますと、学校へ行ける期間というのは、義務を免除されてのびのびと遊んだり、勉強をするために与えられた皆さんの権利であると私は考えています。最低でも15年間、皆さんは子どもとして生きていくことが保証されているのです。
さらに言えば、高校へ進学すれば3年間(夜学等では、4年生のところもありますが)、「自分は何になろうか」「自分はどんな人間なのだろうか」と、悩んだり考えていても良い期間だと言えます。
学校は何をするところ?
では学校とは、いったい何をするところでしょうか?
各教科の勉強だけを考えれば、こんなこと役に立つのか?と、疑問に思うことも少なくないでしょう。
例えば、私は地理や歴史が苦手なのですが、今でも日本の山脈の名前を挙げよと言われても、ほとんど覚えていません。戦国武将の名前も、本当に有名な人の名前しかわかりません。じゃあ、それで困るかと言えば「あまり困らない」のです。
しかし、教養という点で考えれば、知識はやはり少ないより多い方が人生を楽しくしてくれるのも事実です。「面白い」と思えることの幅が広いのは、自分にとって毎日を楽しく暮らすためのツールとして最強なのです。
学生期間とは、まず第一に人生の幅を広げるために与えられたギフトであり、周りがわざわざお金を出して用意してくれる「時間」なのです。
更に、職業として「何かになりたい」と考えた時に、そこには様々な条件が必要となります。例えば、建築関係の資格を取ろうと思っても、高校を卒業しているかどうかは、受験資格として大きく関わって来ます。他の業種でも、最終学歴によって受験資格の規定が違うものは少なくありません。あまり選べないより、沢山選べた方が良いと思うなら、やはり高校卒業や大学卒業の資格は無いよりあった方が絶対有利です。
人と関わらずに生きていくことはできない
そして、もう一つ。リアルで他人と関わる機会を皆さんはどれくらいもっているでしょうか?オンライン上だけでの付き合いは省きます。なぜならば、いざとなった時に「どちらかが一方的に関係を切れる相手」だからです。
人間関係は、程よい距離感が大切です。例えば「自分勝手なことばかり言ってると相手を怒らせる」、「泣かせてしまう」、エスカレートすれば「嫌われてしまうこともある」。家庭単位ではこれらを「喧嘩をしながら学ぶ」ことは難しいのですが、学校の集団生活で習得できるのも大切なことの一つです。
「先生、今時は誰にも会わずに仕事できるから人間関係なんて関係ないんですよ」
ある保護者の方から言われた言葉です。ちょっと待ってください。その仕事は、どうやって取ってくるのでしょうか?相手の意図をどうやって理解するのでしょうか?納品する為に、メールのやり取りは必要無いのでしょうか?
人と全く関わらずに生きていくというのは、現実的ではありません。人と会わずに暮らすことだけなら可能ではありますが。その生活をするなら、一生食べていけるだけのお金が必要になってきます。もっと言えば、生活保護の申請も、誰とも関わらずにすることは不可能です。
必要以上に人に好かれる必要はありません。
でも、だからといって他人を傷つけまくったり、嫌がられることをするのは、行為としてクソなわけです。なぜならば、相手にだって気分よく暮らす権利があるからです。
ちょっとフワッとした物言いになりますが、気持ちよく社会生活を送るのに必要なスキルを習得するのに、学校はとても良い場なのです。それは、自分がピックアップした気の合う仲間だけに囲まれて暮らすために、まず「どう振る舞ったらよいか」を学ぶ必要があるからです。そして、それを学ぶ場としての役割が学校にあると私は考えます。
もちろん、規定の学校以外の場でも、それを学べる機会は沢山あります。その件につきましては、また後日しっかりお話したいと思います。
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参考文献
『心理学辞典』有斐閣(1999)
『よくわかる心理学』ミネルヴァ書房(2009)
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