前回は、お友達とケンカしてしまった時にどうするか?についてお話しました。
では、友達ってそもそも何?自分にとって、いったいどんな存在なんでしょうか。
今回は、そのことについて考えてみたいと思います。
学校に通えない子
私が上尾市(埼玉県)でやっている「エイジア学習教室」には、様々な生徒さんが通って来ています。中学、高校と通い続けて大学受験まで通って来てくれた子や、学校に通えないため教室を学校代わりに利用している子、ごく普通に学校帰りに勉強をしに来るだけの子と様々です。
通常の塾と少し違うのは、二名の心理士が在籍していること、教室で長時間過ごす子が多いので、お茶(おやつ)休憩があったり、図書ルームや将棋盤などのゲームもあり、勉強が終わったあとも夜の21時30分まで好きなだけいてよいことになっています。
教室の生徒のなかには、お友達との人間関係がうまくいかずに、学校に通えなくなってしまった子がいます。あからさまに、いじめだとわかるような暴力をふるわれた子や、周りも気がつかないような小さな意地悪をくりかえされたりして、心が折れてしまったのです。
意地悪に我慢することしかできない
前回私は、ケンカは悪いことではないと言いました。
しかし、やり返したり、言い返して相手とケンカができる子ばかりではないのも事実です。意地悪をされたり、言われてもじっと我慢するしかできない子もいます。
もともと、「お友達だから意地悪なんかするわけがないし、ただふざけているだけなのかな」と思っていたという子もいます。そうなると余計「嫌だからやめて」とは言いにくいですよね。その子は、自分が友達に意地悪をするという発想がなかったので、ずっと我慢をし続けて摂食障害になってしまいました。(本人に了解をとって書かせてもらっています。)そして、それは長いこと彼女を苦しめているのです。
どうしても「気が合わない」人もいる
悲しいことに、人は他人に優しくばかりはできない生き物です。いつもではないけれど、時々意地悪な気持ちがわきあがってしまったり、ちょっとしたことで誰かを嫌いになることもあるでしょう。相手に非がなくても、なんとなくイライラしてしまうこともあります。
しかし「みんな仲良くしましょう」や、「お友達がたくさんいるのはよいこと」といった言葉や考えが当たり前にあふれているので、なかなかそんな気持ちを口に出すのは難しいのです。
私は、別に人と争うことをすすめている訳ではありません。でも、自分が疲れたり悲しくなってまで誰かと仲良くする必要はないと、教室の子ども達に伝え続けています。
自分以外の誰かにあわせて、自分の意見をおさえることは、社会生活をおくるうえで時には必要なことです。ただし、それは「自分も得るものがある」という前提があってのことです。
たくさんの人がいて、色々な性格や考えの人がいるのですから「皆と等しく仲良くする」必要はありません。どうしても、一緒にいると辛くなってしまう人というのは、そもそも一緒にいられない人なのです。それは「気が合わない」としか言いようがないのです。
でも、例えば学校で同じクラスだったら全く関わらずに過ごすのは本当に難しい。同じグループになって、行事に参加しなければならないことだってあるかもしれません。
屈辱的なあだ名をつけられた私の経験
私自身も小学生の頃(一時期ですが)先生から「いなブタ」という、今では大問題になりそうなあだ名で呼ばれ、学級文集のあだ名を公表するというコーナーに載せられました。最後まで抵抗しましたが、結局自分で自分のあだ名を文集に書くように言われたのです。子どもでしたが、屈辱感でいっぱいでした。小学校の3年~4年生の頃の話です(クラス替えが二年に一度しかなかったため)。
更に当時、もう一人名前の後ろにブタとつけられた子がいました。彼女は、家にお母さんがいませんでした。そして、私も家庭内がゴタゴタしていて、母親とちょいちょい離れて暮らしていた頃でした。その頃家に相談できる相手がいなかったのが、ターゲットになってしまった私と、もう一人の彼女の共通点だったのです。のちに、私の親が文集をみつけて保護者会でぶち切れ、そのあだ名は廃止されました。
いまでこそ、ひとり親の家庭は珍しくありません。私も、今の夫とは再婚です。しかし、当時はそんなことですら意地悪の対象にする風潮があったのです。本当にくだらないですね。
その頃の私は、隣のクラスの子達がうらやましくて仕方ありませんでした。なぜ、自分で選んだわけでもないのにここにいなきゃいけないのか意味がわかりませんでした。
しかし、まだ学校以外の居場所があちこちに残っていた頃だったので、近所のお兄さんやお姉さん、おじさんおばさん達に助けられながら、なんとなくやりすごすことができただけのことです。あの頃、自分の世界が学校という空間だけだったら、もっと辛かったことでしょう。
意地悪する人は友達ではなく、ただの知り合い
話が少しそれてしまいました。私が、今回皆さんにどうしても伝えておきたいことがあります。
友達というのは、自分にとって嫌なことばかりしたり、意地悪ばかりする人ではありません。そういう子は、単に「ただのクラスメイト」だったり、「ただの知り合い」です。
離れることが難しい場合、できるだけ相手の言葉に惑わされたり、傷つけられないようフィルターを通して話を聞き流してください。決して真に受けないでください。
それでも、自分だけでうまくいかなかった時は、ひとりで思い詰めずぜひ相談してくださいね。
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