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重田誠氏インタビュー③|山崎豊子に影響を受けた10代と、正しいことを選択する信念

3回に渡る重田さんへのインタビューもいよいよ完結編です。今回は重田さんの学生時代のお話やトーク上手になる秘訣など、10代の皆さんの参考になること間違いなしの貴重なエピソードをお話ししていただきました。

保険業界を目指したきっかけ

─NEONAVI編集部(以下、略)重田さんはどんな10代を過ごされたのでしょうか?将来の夢などはあったのですか?

重田様(以下、略):10代の頃には保険に携わろうとは考えていませんでした。ではなぜ今こういった仕事をしているかというと、父の影響があるように思います。

父は小学校の先生をしていたのですが、私が中学生のときに教頭先生になりまして、毎晩深夜まで仕事をしているのを見ていました。そして同じタイミングで10歳上の姉が結婚し、そのお相手というのが大手損害保険会社に務めていたんです。こちらも凄まじく忙しいという話を聞いていました。

父は地方公務員の管理職、義兄は金融機関の新人という立場の違いはあっても、どちらも激務に見えていたのですが、もらえるお金を考えると当然ですが金融機関の方が断然大きいわけです。

そんな時父たちの背中を見て、「どこの仕事に就いても大変なんだな。だったらお金をより多くもらえる会社にいかなきゃ絶対だめだな」という気持ちが芽生えはじめ、義兄と同じ業界の保険会社に行きました(笑)

当時はバブル期の最後でしたから、就職で困るということはありませんでしたね。 

人生の転機となった『白い巨塔』

─10代の頃に影響を受けたものはありますか?

僕の人生の大きな転機になったのが、山崎豊子さん作の『白い巨塔』を中学生の後半で読んでことですね。

ご存知の方も多いと思いますが、山崎さんの作品には社会現実の厳しさが表れていますよね。「頑張ったからどうにかなる」という世界ではないじゃないですか。『不毛地帯』であるとか、あの頃のビジネスマンの仕事ぶりを読んで、「これが社会人なんだ」というイメージを持つようになりました。

─なるほど。バブル期の外資系保険会社というと、なかなか大変だったのではないですか?

確かに大手の保険会社だと縦割りで、上司からの圧がすごいものだというイメージがあると思いますが、私が入社したAIUは毛色がちょっと違ってましたね。

その当時は「上司は乗り越えるものだ」と思って仕事をしていましたね。上司の能力をどの段階で超えられるのかという挑戦を常にし続けていたように思います。

─結果が全ての世界ですね。

結果が全てでしたね。数字が人格であり、上司は最初のライバルと教えられ、「この人をいかに短い時間で乗り越えるか」という考えをするようになっていきました。

─それは重田さんだけでなく、周囲の社員も同様だったのでしょうか?

みんなそうでしたね。上司に何か言われて、素直に「ハイ」って言ってるやつはだめなやつなんだ、というような見方をしていましたね。社長がいる会議でも反対意見が出ていましたから。

ところが入社2年目の時に、仕事がキツくて倒れてしまって。1ヶ月間入院したんです。

上司から半ば業務命令で病院に行ったのですが、その場で「即入院です」と告げられて。その時は「会社に戻らないと」と、一回会社に帰ったのですが、病院から上司に直接電話があって「今すぐ入院させなさい」と(笑)

─病院から直々に(笑)

で、死にそうな勢いで寝てる時に、枕元で上司から言われた言葉がありまして。

これは今でも忘れません。「俺は最高の仕事をした。部下であるお前の体力の限りを全部使い切ったんだ」と言われたんです。これは今だったら大変なことになりそうですよね。でも当時はこれが普通で、自分も上司になったら「ああ、こうやって人を使うんだ」と思いましたね(笑)。

話上手になる秘訣

─ちなみに幼少期はどんな子供だったのですか?

どちらかというと積極的に発言するのが苦手なタイプでした。ところがなぜか目立つ存在で、何においても祭り上げられるんです。学級委員でもなんでも、何かがあると必ず注目されて、それが嫌で嫌で仕方なかったですね。

そんな時に先ほどお話した山崎豊子さんの小説を読んで、「その人だったらどうするだろう」と、自分を登場人物に置き換えるようになりました。そうすると、その小説の中の登場人物をイメージして喋れるようになったんです。

そこから大学にかけては、人前に出ると「一言おれに喋らせてくれ」というような人間に変わりました(笑)

─それはすごいですね。

特に『不毛地帯』では登場人物一人一人の言葉に影響を受けましたね。

喋るのが得意になったことで、自然と会議を仕切ったり、イベントを作ったりすることができるようになっていきました。特別支援学校や福祉施設の保護者会の際など、保険の説明依頼を受けたときは嬉しくて仕方なかったですね。

─今はそういうタイプの人は少ないですよね。できるだけ目立たないようにというか。

私自身、今でもそういった気持ちはあります。ただ、「急に話をしなければならない」という状況に備えて、心の中で事前に準備をしているだけなんだと思います。

その準備の一つが山崎さんの小説から学んだ、登場人物に自分を置き換えることで人格を変える「憑依術」というわけです。

読んだり見たりすることで頭の中に経験値を積むんです。そして場面場面で適切な引き出しを瞬間的に判断し選択することで乗り切るということですね。

大切なのは「正しいことを選択する」こと

─ありがとうございます。最後に10代のみなさんにアドバイスをお願いします。

私の場合ですと、「誰に対して保険を提供すべきなのか」「自分の能力を生かして誰に向き合ったらいいのか」という問いが常にあって、その答えがハンディキャップを持っている方々を助けることのできる保険であったわけです。

もちろん、全ての障害者向けの保険という誰もやったことのない分野でしたので、苦労も絶えませんでした。しかしそれが社会的に正しいことだと確信していましたし、「持てる力の限りを尽くそう」と心に決めていました。

社名を「やり抜く力」という意味をもつ「グリット(GRIT)」にしたのはそんな決意も込められています。

10代の皆様にアドバイスできること、それは迷ったら人としてより正しい道を選択するということことです。ともすると、周囲の目、置かれた立場などでどうしても、本意でない選択を迫られることもたくさん出てきます。その時に「人として正しい道は?」という自分自身に対する声掛けがとても重要です。

正しいことでも抵抗勢力が付き纏いますから、時にはそれが茨の道だということもあります。それでもいつか振り返った時に人として正しい道であったと思えれば、後悔も少ないと思います。

─貴重なお話の数々をありがとうございました!

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