私の人生の選び方〜将来の夢に悩む10代へ〜
目次
私の人生の選び方はズバリ!
私の人生の選び方は、目標に対して妥協をしないことです。
私は幼い時から、将来は歌手になりたいと思っていました。
一方で、母がピアノの先生だったことから、ピアノの先生という選択もありました。ピアノの先生になることに関しては、母を超えることが出来ないと思い、歌であれば、自分を伸ばして母を超えることができると思いました。
書道の先生からの教え〜将来なりたい職業を考える〜
12年間通っていた書道教室で先生からは、
”継続は力なり”
という言葉の意味を何度も伝えられていました。
”継続は力なり”の教えは、書道からも言えることであり、書道の先生のかつての教え子であった、双子の姉妹の影響もあるのだと感じています。
書道の先生は、よくこんな話をしていました。
【双子の姉妹の話】
一方の子は、
「将来は看護師になりたい」
もう一方の子は、
「将来は学校の先生になりたい」
と言っていました。
その子たちは大人になってどのような職についたと思いますか?
書道の先生からの教えの本当の想い
将来、看護師になりたい子は、看護師に。
将来、学校の先生になりたい子は、学校の先生になったそうです。
私は書道の先生に「将来の夢は歌手になりたい」と話すと、書道の先生はこの双子の話を何度も言いました。
書道の先生の願いは、
”自分の芯を曲げずに夢を叶えてほしい。”
この想いを私に伝えてくれたのだと思います。
将来なりたい職業を否定する大人も少なくない
私は、20歳になる前に何度も歌手になりたい思いを否定されていました。売れないから。お金にならないから。そのような理由で、公務員を勧める大人は多かったです。
とても辛かったですし、今でも歌手になる夢を産みの両親から否定されたら、「私は歌をやりたい。歌手になれないのであれば死にたい!」と泣き叫ぶでしょう。
私は、否定されてきたことが多く、その度に「絶対に負けない。見返すんだ。」と思っていました。私の人生は私が決めるという思いが強く、歌手以外のことでも妥協せずに目標に向かって努力をしていると思います。
高校受験の結果に驚き
志望の高校は、小学6年生から何となく決めていました。中学3年の春は、小学6年生から志望していた高校まで100点も足りず、翌年の1月になっても50点くらい足りませんでした。しかし、2月にいきなり合格点を取れるようになりました。そして、志望校に無事、合格することができました。
努力が報われる時は、いきなり来ることもあって、やはり、継続は自分の力になるのだと確信した出来事でした。
現在、歌手以外に、起業で4つほどプロデュースしたい事業があります。起業に関しては、10年、20年かかる事業もあると思っていますが、今のうちから未来設計を大切にして、自分の人生を謳歌できるように生きていきたいと思います。
10代の皆さんへ今どのように思いますか?
なりたい職業、やりたい職業はありますか?
20歳までは、大人に人生のレールを敷かれてしまうことも少なくありません。ですが、自分の想いを大切にしてほしいと私は思います。
なりたい職業がなかったとしても、今は見つかっていないだけ。大人になって模索していく内に、”私はこんなことがしたい!”と思う職業に出会える可能性は充分にあると思います。
働き方は、常に変化していて、現代では本当に多くの職業があると思います。
型にはまらないような、ユニークな職種も存在します。
”継続は力なり”という言葉に補足して、自分の人生に対して諦めずに向き合っていけたら良いのではないでしょうか。
楽しんでできる職業に出会えたら、お金のために働くのではなく、お金が自然に入ってきます。
あなたがどのように選択するかはあなたの意思でしか決められません。
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