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"難解映画"が難解ではない理由。と、そこに見える映画の本質と『裏切りのサーカス』と『2001年宇宙の旅』

NEONAVI編集長のLICOです。また自分の記事を書くのに時間が空いてしまいました。

これ以上記事を書かないのはやばいので、2年くらい前にひっそりnoteで下書きに入れていたものを書き換えて記事にしました。ほぼエッセイとして読んでください。

『裏切りのサーカス』と『2001年宇宙の旅』の偶然な出会い

神保町の古書店で、ずっと探していた映画のパンフレットを二冊見つけた。英国俳優の顔ぶれが豪華なトーマス・アルフレッドソン監督の『裏切りのサーカス』(2001)と、巨匠スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)。

重厚なスパイ映画とSF映画の金字塔。本を原作としていること以外にこの二つの作品に共通するのは、いわゆる「難解映画」と呼ばれていることくらい。

説明的なセリフが極限まで削ぎ落とされ、主人公も周辺の人物もあまり喋らない。場面と場面の繋がりがわかりにくい(というか1回目は全くわからないものも)。突如登場するアイテムや場面の説明もないから、それがどんな役割なのか、重視すべきなのか、どんな意味を持つのかもわからない。解説サイトを読んで初めてストーリーを理解する「初見殺し」。

そのため、ファンの中では評価が高くとも、難解であることを理由にこのような映画を観ることを避ける人も多い。『2001年〜』は映像技術の高さなどからSF映画の金字塔となったけど、『裏切りのサーカス』はかなり賛否が分かれている。(パンフレットによると、『2001年〜』も上映当時はやはり賛否分かれる議論を巻き起こしたらしいけど)

たしかに2時間以上かけて映画を観たのに、話の内容が理解できないというのは低評価に値するかもしれない。5分くらいの音楽みたいに、何回か繰り返し聴いていくうちにハマってきた、というような時間のかけ方はできないから。ただでさえ私たちはなぜか毎日時間が足りないのに。Filmarksでいろんなレビューを読んでいくうちに、映画が難解であるというのは低評価に値すべきかもと思えてくる。

でも、パンフレットを読んで監督の思いに触れてみると、あらためてそうではない、難解であることはこの場合においてはむしろ、これらの作品を作品として磨き上げるための紙やすりのようなものであると確信した。

しかも面白いことに、ジャンルも時代も違う2人の監督は同じことを言っていた!(私にはこのことが一番胸熱でした)

『2001年宇宙の旅』

アーサー・C・クラークの書いた『2001年〜』の原作は映画と違って割ととっつきやすく、読みやすいらしい。(私はまだ読んだことがないけれど…)キューブリックはこのSF小説を映画化する上でこんなことを言っている。

映画は言葉に置き換えられないメッセージなんだ。言葉によらない体験なんだよ。言葉の陥穽に落ち込まない、視覚的な体験を作り上げようとした。

初めの構想では、『2001年〜』はとても2時間半では収まりきらない長さになってしまうところだった。宇宙に行く話だから、いろんなものを説明しようとするとどうしても長尺になってしまう。そこでキューブリックが立ち返ったのは映画の原点であり、映像にしかできないことを追求することだった。

映像/動画はすさまじい。1分間の動画は文字に換算すると180万単語、写真の5000倍もの情報量が含まれているという。このような動画の情報量の高さは少し前から注目されていて、動画市場が伸びているけど、キューブリックは半世紀前に映像の力強さを理解し、芸術と共に昇華させていたのである。

話が少し逸れてしまったけど、つまりキューブリックは映像にしかできないことを追求し、徹底的にそれを実行した結果、「難解な」映画になってしまったんだと思う。映画だから映像を大事にするって当たり前のことのようだけど、実はそれができてないというか、結局セリフで語ってしまっている映画/ドラマって多い気がする。

もちろん映像技術の高さもかなりえぐいので言っておかなければいけない。『2001年〜』は、同年代の作品またはそれより後のSF作品と比べても新しい。初めて観たとき、私はキューブリックの作品だということも忘れて1990年代の映画かと思ってしまった。なぜそんな映像を作ることができたのかと思えば、やはり映画にしかできないことを徹底的に突き詰めたことに帰結する。

『裏切りのサーカス』

2011年に制作された『裏切りのサーカス』(英題:Tinker Tailor Soldier Spy)は、ジョン・ル・カレの同名のスパイ小説を原作としている。登場人物の多さと説明的な台詞の少なさが、この映画が難解と言われる要因。一部の人の(私含め)堅い支持を集めてはいるものの、わかりにくい上にストーリーに起伏がないので、銃をぶっ放したり派手なアクションを持ち味とするスパイ映画を観たい人の需要はいまいち満たせない。

なぜこの映画はわかりにくいのか。まず最初に弁明しておくと、それは例えば駄作映画のわかりにくさではない。プロットの創りなどが雑なために、意図せずに観客を置いてけぼりにしてしまう、そんなことではないのだ。

なぜなら、細部に注意を向けると全ては映画の中で説明されている。実際、二回目以降の鑑賞では「こんなに単純な話で、こんなにわかりやすい映画だったのか?」と思ってしまったほど。『裏切りのサーカス』は、たしかに初見の観客、特に前情報が全くない鑑賞者には混乱する。しかし再び観たときにはきちんと答えが見える。散りばめられた答えを見つけるたび、「なんだ、こんなことにも気づかなかったのか!」と悔しくなる。

ル・カレの原作は79年にイギリスでTVドラマ化され、絶大な人気を誇ったそう。ドラマでも7話を費やした情報量を2時間程度の映画におさめるとなれば、できるだけ説明削ぎ落とさなければいけなかった。しかもドラマファンをがっかりさせることなく。アルフレッドソンは、ル・カレが全面的に協力してくれたことで、イメージを映像化することに専念できたと言う。結果として、密度の高い映像になった。

ちゃんと観ているのか

キューブリックのことも踏まえると、「難解」と言われるのは我々に責任があるように思えてきた。2時間半の映像の中で、どれだけの情報を見落としているか、気づけなくなっているのか、そして「観る」というよりも「眺める」に近い行為になってはしないか。もちろん、映画を観る姿勢は人それぞれ。でも、芸術作品として作られたものにエンタメ性を求めるのはクレームだと思う。

小学校のころ、たしか合唱を教えてくれていた先生がこんなことを言ったのをずっと覚えている。

褒め言葉でいちばんうれしいのは、技術がよかったとか、感動したとかではなく、「もう一度聴きたい」と言ってもらえることだよ。だからそこを目指しなさい。

これは音楽に限らず、映画や舞台などにでも言えることだと思う。

ただ、良し悪しにかかわらず音楽を何度も聴くことってざらにできることだけど、同じ映画を何度も観るとなると途端にハードルが上がる。よほど好きでもない限り、同じ2時間は観たことのない映画に使いたい。とくに伏線系のものは2度目は答え合わせ的な感じで楽しめるけど、3回目以降はもう全部わかっているのでああ、はいはい、次それね、みたいな感じで冷めてしまう。だから、映画における「何度でも楽しい」は、アカデミー賞に部門を作っていいくらい賞賛されるべきなのではないかと私は思います。

それにどんぴしゃにあてはまるのが『裏切りのサーカス』と『2001年宇宙の旅』なのです。(もちろんほかにもたくさんあるけど)

最後に

まったくまとまりのない文章を書いてしまったけど、要するに、難解映画には映画の本質的な部分が現れていて、もっとも映画らしい映画であるということを知ってほしい。だから、難解であることはそれだけ洗練されているということであって(たまにほんとによくわからないものもあるけど、それは除くとして)、「難しいから」「わからないから」という理由で低評価をつけられている映画はもしかしたら誤解されてるかもと思ってみてほしい。

そして映画のパンフレットからわかることって本当にたくさんあるので、新作映画でも古い映画でも、ぜひ買って読んでみてほしいです。

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