【音楽活動・留学・就職】好きなことが仕事に繋がる・Kaori Hanaiさん〈インタビュー〉
こんにちは!ベトナムの寺内です。
今回みなさんにご紹介するのは、高校1年生から音楽活動をしながら、現在日本のテレビ局の海外営業として働かれているKaori Hanaiさんです。
幼少期には親の海外赴任でインドネシア、高校時代にはアメリカ留学、関西の大学に在学中に上京、そして就職、14年続けたバンドの解散からソロ活動へ。
留学やバンド活動、音楽を続けながらの就職など、学生の皆さんの参考になるお話を聞いてきました!
目次
Kaori Hanaiさん
1986年生まれ。大阪大学外国語学部卒業、同大学大学院文学研究科修士課程修了。
楽器・音響機器メーカーに勤める父の影響で幼い頃からピアノやエレクトーンなど音楽に触れる環境で育ったそう。
小学6年生から約1年間、父の海外赴任でインドネシア・ジャカルタで過ごし、高校2年時にはアメリカへ1年間留学、その後大阪大学・同大学院へ進学。
高校1年生からバンド活動を始め、2006年大学在学中に当時の大学同期とガールズバンド「sugar'N'spice」を結成。全ての楽曲はギターボーカルを務めるKaoriさんが制作していました。
2012年4月には活動拠点を大阪から東京に。数回のメンバーチェンジを経て14年間活動しましたが、2020年に解散。
現在はソロで作詞作曲を始め、他アーティストの楽曲制作やボーカル参加、カバーなどをしています。
海外での経験について
インドネシア・ジャカルタでの生活
──インドネシア・ジャカルタへ行ったきっかけは何でしたか?
Kaoriさん 小学校6年の4月に父の海外赴任で家族で移住しました。しかし当時のスハルト政権に対する国民の不満が大きく、5月には街中のいたる所で大暴動が…。突然学校でお泊まり会となり、その翌日には着の身着のままで日本へ緊急帰国し、2ヶ月間大阪の祖父母の家で過ごしました。
──無事帰国できてよかったですね…その後ジャカルタへは戻ったのですか?
Kaoriさん 夏休みまで日本で過ごしてから戻ったのですが、情勢はまだ不安定だったため、1年間で家族だけ帰国し、中学・高校は大阪へ。
──高校1年からバンド活動を始めたとのことですが元々何か楽器などやられていたのですか?
Kaoriさん 楽器・音響機器メーカーに勤めていた父と音楽好きの母の影響でピアノ、エレクトーン、ヴァイオリンを幼少期から習っていましたがピアノの練習は嫌いでした(笑)。中学2年生の時にロックバンドに興味を持ち、「エレキギターが欲しい!」と思ったのですが、母に「エレキは高校生になってから!」と言われ、とりあえず家にあったアコースティックギターを弾くようになりました。そして高校時代は念願のエレキギターを抱えて軽音部に入りました。
高校2年時にアメリカ・メーン州へ留学
──アメリカ留学のきっかけは?
Kaoriさん 何となくアメリカに漠然とした憧れのイメージを抱いていたのですが、実際に行って見てみないと分からないと思い、高校2年生で留学することに決めました。
──留学はどのようなプログラムでしたか?
Kaoriさん 「AFS日本協会」を通して約1年間の交換留学のプログラムで参加しました。アメリカ・メーン州のホストファミリー宅に滞在しながら現地の高校に通いました。現地の高校で単位も取得できたので、帰国後高校3年生としてそのまま大学受験も可能でしたが、もう一度日本でも改めて高校2年生として過ごすことにしました。
──卒業を選ばずに留年した理由は何ですか?
Kaoriさん もちろん留学をした1年は実りの多い1年間でしたが、人生1度きりの日本の高校生活。体育祭や文化祭などを経験しないのはもったいないと思ったからです(笑)。10代の1学年は大きい差なので、自分の後輩たちと同学年として過ごすのは少し不安があり、先生方にも反対されましたが、思い切って1学年下りてみることにしました。アメリカで言葉も文化も年齢も異なる人たちと1年間一緒に過ごしてきたのだから、言葉が通じるなら余裕でしょ、というマインドでした(笑)。
──大学では外国語学部に入ったのは留学の影響もありましたか?
Kaoriさん はい。留学中に読んだ『グレート・ギャツビー』が面白かったので、外国語学部のゼミではアメリカ文学を選び、卒論もアメリカのSF小説について書きました。
──その後大学院に進まれたのはどうしてですか?
Kaoriさん 就職をしたくなかったからです(笑)。音楽以外に興味のある職業も無かったし、バンド活動に専念するにはもう少し“学生”のままでいようと思い、院に進みました。
バンド活動について
2006年「sugar'N'spice」結成
──「sugar'N'spice(以下シュガスパ)」は大学の友人と結成されたのですか?
Kaoriさん はい。高校時代にバンドを始めた時から私は作詞作曲が大好きで、正直ギターは上手くなく、歌も人前で歌いたくないと当初は思っていました。自分が作った曲を歌ってくれる人を探しましたが見つからず、結局一旦自分がギターボーカルになりました。
高校卒業とともに当時のバンドは解散したので、大学生になってすぐ大手事務所に自分の作った曲のCDを片っ端から送っていました(笑)。すると複数の事務所から、“下手で荒削りだけどいい。ライブを見たい”とお返事をいただき、ライブをすることに。「ライブをするにもバンドがないとダメじゃん!」となり、その時に大学の同級生と結成したのが「シュガスパ」です。
──ライブはうまくいったのですか?
Kaoriさん 結局事務所の人たちには「頑張って」と言われて終わりました(笑)。でもせっかく結成したのだから続けよう!となり、その後メンバーチェンジなどもありながら14年続けました。
大学院とバンドの両立
──14年間ってすごいですよね…。大学院在学中にはバンド拠点を東京に移されたのですよね?
Kaoriさん 大阪でバンド活動を続けながらたまに東京でライブをすると、ライブハウスの活気の良さにとても驚きました。平日でもたくさんのライブハウスにたくさんのバンドとたくさんのお客さんがいて、私もここで戦ってみたいと思うようになり、バンドでの上京を決意しました。
とは言え、東京でバンド活動をしながら大阪の大学院に通うのは想像以上にハードでした。途中で大学院を休学したり、卒業論文が間に合わなかったりして、ちょっと時間はかかりましたが、なんとか無事に卒業をすることができてよかったです。
2020年2月「シュガスパ」解散
──14年間の活動に幕を閉じた時はどんな気持ちでしたか?
Kaoriさん これまでどんなにバンドがピンチの状態でも続けることしか選択肢に無かったのですが、この時だけは解散という決断に至りました。コロナ禍の蔓延防止措置に入る直前で、ラストライブツアーができたのは本当によかったです。2011年にリリースしたミニアルバム「 ROCKSTAR 」からリリース順・曲順通りに約3時間、休憩無し・MC無しで演りました(笑)。私たちらしい美しい終わり方ができたと思います。
就職について
知人の勧めで就職
──就職をしたきっかけは何だったのですか?
Kaoriさん 正直私は音楽で食べていきたかったので、就職を望んでいたわけでは無かったのですが、音楽関係の知人が紹介してくれたのが最初の仕事でした。社会人という立場も初めてだったし、いきなり著作権管理の仕事の海外事業部に配属されたので、学ぶことばかりで大変でしたが、成長できたことが嬉しかったです。その後はアパレルブランドでコラボ商品の開発に4年半、携わりました。
──バンド活動が就職にも繋がっていたのですね。
Kaoriさん 実は今までちゃんとした就職活動をしたことがなく、ずっとバンドばかりしていたのに、逆にそれがよかったのかなと今になって思います。現職に転職した際も、きっかけは音楽関係の知人の紹介でした。ひとつのことに本気で取り組んでいると、その先に思いがけない世界が広がっているみたいです。
やりたいことがわからない10代へー好きに貪欲・流れに任せる
Kaoriさん 私の場合、ある日突然“音楽で生きていきたい!”ってなりました(笑)。自分の人生でずっと側にあった音楽が、ある日くっきり3Dになって飛び出してきた感じです。
そうなるためには、色んなことを見聞きして、何かを食べるにしても、どこに行くにしても、自分の好きに貪欲・本能に素直であることが大事だと思います。
あとは流れに身を任せて生きると、自ずといい方向に向かっていったりしますよ。
“自分を愛する”とは?
Kaoriさん “自分に甘える・自分を甘やかす”ことです。
若い頃は自堕落で何となくかっこいいことに憧れていましたが、大人になって自分を甘やかす喜びを覚えました。今日は散財しよう!来月は海外に行こう!など自分が思った通りに行動するには社会的自立が必要です。仕事も生活も自立し、自分のためにかっこいい自分でいることで、甘えたい自分をしっかり甘やかせるはずです。
まとめ
バンドを解散され、現在は個人で活動されているKaoriさん。今まではバンドミュージックの制作に専念されていましたが、今は新しいジャンルにも挑戦してポップソングを制作しているそう。
「シュガスパが終わったので、また1からスタートの気持ち」で、オリジナルアルバムを出すことを目標に、研究や制作を行なっています。
音楽を志している学生さんはぜひ、KaoriさんのHPもチェックしてみてくださいね!
Kaori HanaiさんHP: KAORISM
sugar'N'spice楽曲:youtube
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