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【やりたいことを全部やる】原動力とは?塾経営者、映画プロデューサー、心理士、稲村久美子氏インタビュー<前編>

突然ですがみなさん、将来の夢はありますか?これからゆっくり見つけていく人もいれば「あれもこれもやりたい…」と悩んでいる人もきっといるはず。

実は、どれか一つだけを選ぶのではなく、やりたいことを「全部やる」という生き方もあるんです。

今回は建築会社代表、映画プロデューサー、学習塾の経営、心理士と様々な顔を持つ稲村久美子さんにインタビューしてきました。

波乱万丈の人生を歩んでこられた稲村さんのお話には、10代のみなさんが人生を楽しむためのヒントがきっと潜んでいるはずです。

自己紹介

─本日はよろしくお願いします。早速ですが、稲村さんがなにをされている方なのか、簡単にプロフィールをお伺いできればと思います。

稲村久美子さん

<プロフィール>
有限会社エイジア 代表取締役 稲村久美子
1967年生まれAB型。
子ども四人、猫5匹の母。
日本心理学会所属/認定心理士。映画プロデューサー。エイジア学習教室 教育相談員。
趣味はスキューバダイビング。楽器演奏(ピアノ他)

よろしくお願いします。私のお仕事ですが、本業は建築会社の経営です。まず建築という土台があって、心理士、学習塾の経営、映画プロデューサーと、自分のやりたいことをやっているという形です。

それぞれどういう背景があったかというところからお話しますと、心理士を志したのは震災の直後、石巻で復興支援をしたことがきっかけでした。1年間、そうした環境のもとで様々な方と触れ合う中で、自分の考え方が正しいのかどうか不安になってきて。

石巻での復興支援

ずっと仕事一直線でやってきたこともあって、大学にも行ったことがなかったので、この機会に心理学を学ぼうと決心したんです。で、心理学の中でも現場に直結する臨床心理学コースに入りました。

結局6年かけて卒業したのですが、学習塾をやることにもなったのも、ちょうどそのタイミングでした。

学習塾で教えるのは「社会に出ていくために必要なこと」

なるほど。まず学習塾を始めた経緯を詳しくお聞かせください。

大学を卒業したタイミングで、社会の子育ての環境を見ていて、子育てが家庭の中で完結してしまっていることに危機感を感じていたんです。

昔に比べて近所付き合いが減ってきて、子供同士の交流の場も少なくなりましたよね。それに何か子育ての上で悩みを抱えていても、気軽に相談できる場所ってあまりないじゃないですか。

─確かにそうですね。

であれば、どんなお子さんでも受け入れて、なおかつ子供たちのたまり場になるような場所を作りたいと思ったんです。

─稲村さんの経営されているエイジア学習教室は、いわゆる学童保育のようなものともまた違いますよね。

そうですね。学童保育は一般的には子供を預ける施設であって、勉強を教える場所としては作られていないですよね。

であればうちは、子供たちのコミュニケーションの場になり、かつ成績もあげられるような場所にしようと思いました。

賃貸だと子供たちが傷をつけてしまったりしてトラブルになるのが心配だったので、「じゃあ買っちゃおう!」ということで一軒家を購入しました。笑

個人に合わせたしくみ

─思い切りがすごいです!どういったお子さんが通われていたんですか?

大手の塾から来る子が多いですね。あとは学校ではトラブルを起こしやすい子、ハンディキャップを持っている子も多いです。

いわゆるバリバリの大手進学塾は「よーいドン」で同じ勉強をするじゃないですか。学校も全員同じペースで授業が進んでいきます。そうするとどうしてもついていけずに、はみ出してしまう子が出てきてしまいます。そんな子がエイジア学習教室に通うことで、自分のペースに合った勉強ができるようにしています。

そのため、うちは全体授業がないんです。明確な目的がない限り、全員がバラバラの勉強をしています。

宿題がわからなければもちろんサポートしますし、音楽のテストがあるなら音楽も教えます。絵が描きたいという生徒のために画材を準備したりしたこともありましたね。

縦のつながりを作る

─塾がやることを与えるのではなく、子どもたちが必要なものに合わせるということですね。

加えて、小学生から高校生までいる環境ですので、自然と縦の繋がりの促進も図れます。

例えばグループワークをやるにしても、知識の差がある中学生と高校生を同じグループにすることで、助け合いが生まれる。

それまで勉強を「やらされるもの」として処理していた高校生が、能動的に下の学年の生徒を助けるといったことが起きるわけです。

─学力はもちろんのこと、社会で必要とされるスキルも同時に養ってあげるということですね。

学校の悩みで一番多いのは人間関係ですからね。学業面だけではなくそうしたところもサポートしてあげられたらと思っています。

もちろん、学力も上げられるように全力でお手伝いします。

「わからないから仕方がない」と諦めるのではなく、現状を認識して何を身につければいいのかを考えて指導するようにしています。

誰にでもできないことはあるんです。できないことをどうできるようにしていくのか、そしてできないことを正直に「できない」と伝え、相談する力を養ってあげることが大切だと考えています。

お金の意識を育てる

─なるほど。

「社会に出ていくためのステップを教えている」という意味では、ときにお金の大切さについても話し合うことがあります。

例えばある生徒に「自分で稼いだバイト代で冬季講習の費用を支払いたいのですが、一括では難しいので分割でもいいですか」と相談を受けたことがありました。

うちは基本的に分割払いには応じていないのですが、「そこまでして勉強を頑張りたいという気持ちがあるならいいよ」というふうにしました。

ただしその時にはしっかりと一筆書いてもらいます。笑 未成年なので、もちろん法的根拠はありません。書類を一緒に見ながら「ここはこういうことが書いてあって〜」というのを説明するんです。

「”いくら借りていて、あとどのくらい払うか”を紙に残しておくことは、双方が気持ちよくコミュニーケーションを取るために必要なことだ」という、お金のことも学んで欲しかったんです。さらに一番大事なのは、自分がそのお金をどう計画的に返すかを考えること。保護者の方に許可を取った上で、このようなお金の勉強を行っています。

映画制作で大切にしているのは「どう発信するか」

─まさに社会勉強ですね。稲村さんは映画も撮っていらっしゃいますが、塾とも関連があるのでしょうか?

全国で上映していただいて、様々な賞を受賞することもできた作品で『次は何に生まれましょうか』という作品がありまして。

内容としては子育てや発達の凸凹に焦点を当てた作品で、心理学で学んだ経験を生かすことができたと思います。

私は、一般的に”ハンディキャップ”と言われるものは「個性」であると考えています。最近になって特別支援学級ができたり、発達障害という言葉がよく知られるようになってきました。そのような子はもはやマイノリティではないと考えています。

ハンディキャップがセンセーショナルに描かれる違和感

─そうなんですね。映画作りの際に気をつけていることはありますか?

そうですね…。

実はいくつか、同じような題材を扱っている作品を見たことがあったのですが、そうした特性がハンディキャップになり、センセーショナルな問題として描かれていることに違和感を感じていたんです。

─どんな違和感だったのですか?

ハンディキャップの特徴が過剰に描かれていたり、本来はその子の特性であるのにもかかわらず、です。

ハンディキャップと見るか、特性と見るかは受け取る側の問題であると考えています。

そこだけにスポットライトが当てられていたり、といったようなことですね。この作品では、そういう誇張されたところではなくて、日々の生活の上で起こる大変なところを描きたかったんです。

岩槻映画祭(右:稲村さん)

─当事者でないとわからないことかもしれませんね。

他にも、『次は何に生まれましょうか』を観てくれた方から「そんな物語はありえない」というコメントをいただいたことがあって。

でも、私は実際にあったこともお話にしてるんですね。例えば私の子が実際にしていた行動であったり、もちろん映画に仕上げる上で虚構も少しは加えますが、私からするととても現実的な作品を作っているつもりです。

ところが他の方が見ると誇張があるように見える。

そうした認識のずれにこそ、トラブルの原因があるのだと考えています。

「ちょっと信じられないかもしれないけど実際に起こっていること」、そんなことを映画という形で届けたいと思っています。

なので、私の場合は「映画を作りたい」というところから始まっているわけではなくて、あくまでも「どうアウトプットするか」を考えた時に、手段の一つとして映画を選択しているというイメージですね。

▼最新作『彼女たちの話』

映画プロデューサーの役割とは?

─稲村さんはプロデューサーとして参加されているとのことですが、具体的にはどういった役割なのでしょうか?

一言で言うと「企画者」です。企画を監督に持っていって、一緒に形にしていくことがメインですが、『次は何に生まれましょうか』では脚本にも参加しています。

映画の予算を持ってくることもプロデューサーの仕事です。

─現場ではどのようなことをしているのでしょうか?

現場になると雑用ですかね。笑

撮影で食べ物を使用した後だと、私がお皿を下げて洗い物をしている間に撮影を進めてもらったりしているようなときもあります。

─とはいえ、やはり発言権も大きく全体の指揮をとっているイメージがあります。笑

どちらかと言うと、私は学ばせてもらっている感覚が大きいですね。

それこそお世話になっている監督さんや音声さんも長い間一緒にやってきている方ですけど、年齢・立場関係なくお互いの意見を言い合っています。もちろん、喧嘩ではなく「ここはこうしたほうがいいよ」という意見のぶつけ合いですけどね。

インディー映画だと予算が多くないので、結局自分が動くのが一番コスパがいいんです。

”ヤンキー”だった10代

─お話を伺ってみて、稲村さんには様々な原動力があり、それが多岐に渡るご活動につながっているということがよくわかりました。ちなみに10代の頃はどんな学生だったか伺ってもよろしいでしょうか?

ヤンキーですね笑

─笑

私が関わった作品で『あの頃と甘いシュシュ』という作品があるんですけど、作品ページを見ていただくと制作に「上尾市立大石南中学校第6回卒業生」がクレジットされています。実はこの作品、私の母校の大石南中の同窓会で余った予算で作ったんです。笑

稲村さんと中学の同級生たち

─えっ?!そうなんですか?

作品の中にも校舎が登場しています。

地域版のエンドロールでは昔のヤンキー時代の写真が流れるので、もし観る機会がありましたらぜひチェックしてみてください。笑

─まさかそんな過去があるとは思ってもみませんでした!

まだヤンキーという言葉もない時代でしたね。笑

大人とのつながりで世界が広がった

で、中学生の頃から夜遊びを始めてしまい…

─笑

夜ファミレスに行くと、明治大や青山学院大の学生がアルバイトをしていて。「夜遊びしているなら働け」ということで、中学を卒業した後、高校に通いながらバイトを始めました。

バイト先の先輩の大学生や専門学生に勉強を教えてもらったり、新宿に遊びに連れて行ってもらったり、青春でしたね。笑

あとは叔父が時代劇のプロデューサーをやっていたのですが、その叔父にも可愛がってもらったことも大きかったと思います。

中学を出て色々な大人に遊んでもらったことで、一気に世界がひらけた感じでしたね。

─中学、高校生のときは大学生ってものすごく大人だと思っていましたそんな方たちと毎日遊んでいたら、たしかに見える世界も変わってきそうです。

あの頃の大学生はみんな車を持っていたので、ディズニーランドとかにも連れて行ってもらっていましたね。

あとは中にはヨットを持っている人もいたので、パームツリーが並んでいるような、逗子のお洒落なヨットハーバーで遊んだり。笑

─すごい。笑

そんな風にして地元のコミュニティで遊ぶことが少なくなっていきましたね。先輩・後輩とか、そういうのが嫌になってしまったのもあるかもしれません。

─大変興味深い話をありがとうございます。学生時代の豊富な経験であったり、当時築いた人脈が今のお仕事につながっているということがよくわかりました。

仕事のモットーは「価値」を付けること

─最後に、稲村さんのお仕事の上でのモットーがあればぜひお伺いしたいです。

お金がないときには、「100円で買ってきたものを120円で売るにはどうしたらいいだろうか」ということをいつも考えていましたね。いわば、この20円にサービスの価値というものが発生するわけじゃないですか。

例えばWEBサイトの制作であれば、原価というものはないですよね。いわば手間料が利益になるような感覚じゃないですか。そういったものにどう価値を見出す/見出してもらうかということが大切だと思います。

─ありがとうございました。次回は稲村さんが今の10代に伝えたいこと、10代へのアドバイスについて、お話していただきます。

▼後編はこちら!

エイジアムービーの最新作『彼女たちの話』は、2022年8月13日(土)〜26日(金)に池袋シネマ・ロサで上映予定!

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