• HOME
  • インタビュー
  • 学生時代に旅に出たら、なにが分かるのか。カメラマン大野智嗣氏インタビュー<前編>

学生時代に旅に出たら、なにが分かるのか。カメラマン大野智嗣氏インタビュー<前編>

学生時代や若いうちに「自分探しの旅」に出る人っていますよね。特に大学生になるとバックパッカーとして世界を旅する人/したいと思っている人は、みなさんの周りにもいるのではないでしょうか?

今回はそんな「旅」のイメージよりもっと土臭くて、もはや放浪に近いような旅を高校時代に経験したカメラマンの大野智嗣(おおのさとし)さんに話を聞きました。

半年間ギターを片手に放浪の旅を続け、道で寝て投げ銭で生活をした大野さん。ヒッチハイクやストリートの話、そして旅から帰ってきてわかったことについて話していただきました。

旅に出た理由は、天気がよかったから

当時は金髪モヒカンだった大野さん

―(編集部、以下略)まず旅に出た理由を教えてください!

天気が良かったから。本当にそれだけ。

ただ元々ホーボーとかヒッピー、旅することへの憧れはあって。ストリートミュージシャンというほど立派じゃないけど、駅で歌っていたのでギターをかついで日本中を旅してみたいという願望はありました。

―その旅への願望っていつくらいからあったんですか?

中学生くらいの時かな。それくらいの時期から大宮駅でよく歌ってた。歌うと言っても、歌が上手くないから、ギター弾きながら喋るみたいな。

で、高校生になってからもなんとなく旅に憧れてたら、「旅に出なさい」というくらいの天気の良い日が来たの。

―当時の自分の日常に不満があったとか、そういうことはなく?

まあ普通に生活している上でのちょっとしたモヤモヤはあったりするけど、家とか学校に不満があって「もうやだ!」って言って飛び出したわけではないですね。

ただ単純に旅がしたい。で、親にそれを言っても「行ってこい」って送り出してもらえるわけではないので、なにも言わずに家出みたいな感じで旅に出ました。

学校の友だちには失踪したって思われてたみたいだけど。笑

―へえ~、旅に出る人って現状に不満があって、「自分探し」とか「視野を広げる」とかそういう欲求から旅に出ている印象があったのですが、大野さんみたいに「旅に出たいから旅に出る」人は初めて出会いました。

うん、僕はそんなかっこいい理由はなくて、ただ、「見たいものが何かはわからないけど、いろいろ見たい」っていう気持ちはあった。

このまま高校に行って、次は大学に行ったとしてそれが見れるのかが不安になって。でも学校行く代わりにホームレスとか旅人をやったら、勉強はできんかもしらんけどめちゃくちゃいろんなもの見れるんじゃないかなと思って。それが旅に出たいちばんの理由かな。

旅のはじまりについて

―次は具体的にどんなふうに旅をしたのか、聞かせてください。身体一つで行ったのか、バイクか何かで家を飛び出したんですか?

徒歩です。笑

ギターケース持って徒歩。まじの家出です。着替えも一切なしで、ギターのハードケースと、あとギター関係のものはいくつか詰めて。予備の弦とか、ピック何枚かとか。あとは書いた曲。それだけ詰めて、後は何もなし。財布も当時は持ってなかったと思うから、本当の無一文でスタートしたんだと思う。

計画も何もない。とりあえず自分の知ってる道をギターのケースを持ったまま歩いて、どんどん知らない道に進んでいこうと。である程度まで行ったらそこでヒッチハイクしようと思って。

―旅に出た1日目は不安じゃなかったですか?

1日目はむしろ一番楽しかったよ。不安なんか一切ない。めっちゃ天気いい中、いきなり解放された気分だったので。

―たしかにそうですね。1日で徒歩だとどれくらい進めるんですか?

なんだかんだ休んだりして、大宮近くまでしか行けなかった。だから距離にしたらぜんぜんないよ。

どっかでヒッチハイクしようと思ったんだけど、なんとか大宮までたどり着いて、夜仲良くしてるホームレスとか、もうその当時、大宮に既にホームレスで、旅をしてきたのか逃げてきたのかわからない謎の人が数人いて、その人たちのグループと一回合流して1日目が終わった。

ー寝るのも外で、ってことですよね。1日目に外で寝た日って眠れました?

最初の2、3日は楽しくて、ほとんどずっと行動してたから寝てなかった。それでもう眠気の限界がきて。寝れる寝れないというか、急に倒れるみたいな感じ。笑

でもうそれを一回経験しちゃうとどこでも寝れるようになったな。

ヒッチハイクの話

ーヒッチハイクはいつから始めたんですか?

2日目から。

スケッチブックみたいなのに行き先書いて。初めは行きたい場所はわからないけど、知ってる県とか、福島とか書いて出してたんだけど、全然止まってくれなかった。

ーアバウトすぎて?

「これはきっと目的地がしっかりしすぎてるな」と思って、「〇〇方面」って書くようにして。

ーあ、そっちの方がいいんですね。

わかんないけど。ただ「〇〇方面」って書き出してから急に車が止まるようになった。

あと、当時は今ほどヒッチハイクをしている人を乗せることが厳しくなかったのね。その数年後にすごい事件が起きちゃって、トラックの人は特にヒッチハイクの人を載せちゃいけないっていう暗黙のルールができたんだけど。

それまでは特にトラックの運ちゃんは眠いし、喋り相手がいたら楽しいし、乗せてくれる人は多くて。あとはもう明らかに「この人は乗せてくれる」って空気の人は乗せてくれる。笑

ーへえ~、乗せてくれそうかどうかわかるんですね!

それこそワーゲンバス乗ってる人とか。ちょっと普通じゃなさそうな車の人が通り過ぎると、念を込めて「止まれ…!」って。で、ずっとその人を見てると、ちょっと遠くの方で止まって、「よしきた!」って走ってく。笑

ーヒッチハイクやってる人ってなかなか身近にいないから初めて知ることだらけです。大野さんは20年くらい前にヒッチハイクしてましたけど、今もやってる人はいるんですか?

僕は結構乗せたことあるよ。偶然なのかそういう人を引き寄せるのかわからないけど、ワーゲンバス時代にも5、6人乗せてるし。

そのハイカーさんもその時疲れてて「もう止まんねー」みたいになってるんだけど、僕が近づいてくるのが見えたときにぱってこう、こんな感じ(目がパキッ!)になってるから「あれ乗せないと悪いよなー」って。

ー仲間だから雰囲気が伝わるんじゃないですか?笑なんかヒッチハイクって遠い世界の話かと思ってました。ロードムービーとかでしか見ないじゃないですか。

日本だとね。する方もそうだし乗せる方も勇気がいるから。

ー私からしたら女の子とかだったらいいけど、男の子、おじさんとかだったらちょっと怖いって思うかも。

逆に若い女の子はヒッチハイクする側だとしたら危ないと思う。何されるかわからないし。それこそ監禁されちゃったとか。

ー危険と隣り合わせですね。

めちゃくちゃ危険だってことはわかってても、その危険をあまり考えなかった。リスクとかあんまり考えずに、それ自体楽しくてしょうがなかったから。

車が止まってくれるまでは「今日もダメかー」って思ってても、止まった瞬間の嬉しさとか半端じゃない。

ーあんまり止まってくれないんですね。

しかもヒッチハイクをしやすい場所と、歌いやすい場所は大抵めっちゃ離れてるから大変。ヒッチハイクしやすいのは幹線道路なんだけど、そこに出るためにかなり歩かないといけない。ヒッチハイクがだめだったら歌う場所、繁華街だからまたすごい遠くて。そんな日は繁華街までとぼとぼ歩いて、「明日がんばろう」って。

ーじゃあ、基本的には繁華街では歌って、移動したい時にヒッチハイクしにいくって感じなんですか?1日の過ごし方はどういう感じが多かったんですか?

場所によって全然違うけど、一番多いのは朝まで夜通しまず歌うことかな。相手にしてるのが酔っぱらいとか人生に疲れた人たちとか、そういう人が来てくれるのは夜中なんで。朝方になると風俗関係の人とか、いちばんアンダーグラウンドな人たちが来てくれるからそれが楽しくて。

その人たちが全部捌けるまで歌って、明るくなってからだと寝やすいから。酔っ払いもいなくなってるから刺されたりとかもないだろうし。ある程度寝たら仲間ができた街に関しては、夕方くらいから一緒に行動するって感じ。

そのルーティンがだいたいどの街でも同じ感じかな。

ストリートで歌えることが、旅に出る理由になった

道で生きていくにもお金って必要ですよね。弾き語りの投げ銭が生活費ってことですか?

それをもらわないと生きていけなかったからね。それが唯一の稼ぎ。

僕が旅で出会った人たちはみんななにかをやって、投げ銭をもらいながら生きてた。占いとか、整体師とか、絵を描く人とかいろいろ。

―稼ぐためのものがないととてもできないですね。

僕は運が良くて。ギターが弾けて、道で歌うっていう、まあストリートミュージシャンっていうのが元からあったから、旅に出る理由にできたんだと思う。

―確かに。何もないのにいきなり外に出ると…

お金がない限りは旅なんて絶対できないから。

―今も大きいターミナルで歌ってる人結構いるじゃないですか。そういう人たちとはまた違うんですか?

ちょっと時代が違うけど、僕らがやってた時代ってブルースマンとかゴリゴリのそういう人たちがたくさんいたから。今のヘブンアーティストみたいに、国から許可もらって、アンプ使ってやるような人たちじゃない。もう下タバコだらけで、ぽいぽい捨てながら、ギターにも差して、それも一生懸命吸いながら歌うみたいな。

そんな吸い方が笑

そんなぼろぼろの人たちが本当のストリートミュージシャンだったから。ヤバイ人しかいないっていう。笑

刺されるとかそんな連中ばっかりで。

なんか全然違いますね。今の路上で歌ってるひとたちキレイですもんね笑

とってもキレイ。笑

キレイだしなんか、言っちゃ悪いですけど聞き入ったことがない。

上手いだけ。

カラオケみたいな。

とってもうまくてとってもキレイでとってもカラオケで、泥臭くて道で歌う必要のある人たちなのかどうかっていうのがわかんない。当時は道じゃないとできない人たちだったから。

逆にプロデビューとかそういう話ではなくて、もう道にそのまんま骨沈めるみたいな人たちだから。ホーボーっていう。だからそういう人たちにも憧れがあって。

憧れのきっかけってなんかあったんですか?

ない。まあいろんなそういう、ヒッピー文化みたいのが好きだったから。気づいたら好きだった。誰の影響とか、そういうのも当時はなくて。

そういうもんですよね。ちっちゃいときの影響を受けたものって確かに記憶にないですね。

そう。いろんなものたぶんあって、『銀河鉄道999』とかも大きかったけど。それこそ星から星の旅だけど。あの感じ、鉄郎自体がものすごいヒッピーな感じだから。あの感じがすごい好きで。

へー。じゃあそういうあんまり意識しないで触れてたものとかが旅とかヒッピーの精神に根付いてるものがあって、自分の憧れにつながったんですね。

そう。

父のシックスセンスで1回目の旅が終わる

旅の道中、大野さんが撮影した写真

ー1回戻ったというふうに聞いてるんですけど、1回目の旅の期間はどれくらいだったんですか?

一回目が半年くらいかな。

ー戻るきっかけは?

一回目は戻された。

ー親にですか?

そう。これはありえんくらいの奇跡だったんだけど。

当時携帯とか連絡手段がないもんで、無事かどうか親に伝えることができなくて、それもあって捜索願出されてたの。

で、うちの親父がなんとなく探しに行ってみるわってオカンと話してたらしくて、勘で仙台にきて。で勘で適当に歩いてたら、なんか歌ってるやついんなーって。

で、そいつの前に行ったら僕だった。「いたー!!」って。

ーえー!そんなことあるんだ!!

ほんとにそんなことあんの?!っつって。

僕も意味が分からなくて。僕からしたらいつも歌ってる場所でパッと前見たら親父みたいなのいて。「親父……?……親父!!」って。

で、そこでいろいろ話して。

「そっか。無事なら、やりたいことあるならいいよ」って、「続けろ」って言って帰ってくれたんだけど、その一日後に僕が警察に捕まった。笑

親父が捜索願消すの忘れてたのね。で、超かわいそうなんだけど、「捕獲しました」って親に連絡が行って。「昨日親父と話してOKですよ」って言ったんだけど、「でもね、捜索願は下げられないから。親が迎えに来ないと帰せないんだよ」って警察に言われて。親父は一日前に帰ったのにまた仙台きて、で一回家に戻るっていう。笑

ーそのエピソードやばいですね。

うん。ほんと奇跡。多分親父はシックスセンスみたいなのがたぶんあんのよ。

ーその辺も共通してるんじゃないですか?天気の良い日に出掛けたくなったのも

あるかもしれない。それのちょっと前に全然関係ない話で、ちょっと家出をしたことがあって。

それも高校生の時でギターを持ってたんだけど。どこだかの街の電話ボックスでちょっと友達に電話しようと思って話してたら、親父がいたっていう…。

ーえっ?!それも?!

見つけたの。偶然。

ーエピソードが強すぎません?

まだ高校生だから、「親父がきっと逆探知したんだ」とかわけわかんないこと考えてたんだけど。それがほんとにできるかはわからないし。今考えると逆探知なんか不可能だし。それはほんとに二回とも奇跡が起きた。

ーすごい!ガチ奇跡ですね

そう。ガチだった。

道と学校の「教養の差」に衝撃を受ける

ー脱線しちゃったんですけど、戻ってきたあと、世界の見え方って変わりました?

高校にしばらく行ったんだけど、やっぱ旅を一回経験しちゃったせいで、前は良かったんだけど、学校に求めるものが友達くらいしかなくなっちゃった。もうその刺激のレベルが違うのね。あと、ほんとの仲良い友達はまだいいんだけど、普通の友達や先生を含めて、みんな幼稚に見えちゃって。

ー幼稚に見えた理由は?

なんかその、教養の量とか質が違うって気づいたの。旅でほんとにわけわかんない連中とつるんできたから、学校では「ここにいちゃいけない」って気持ちの方が強くなっちゃって。

ーまあ半年間旅したらそうなりますよね。

なる。

学校の人たちと教養のレベルが違うって、具体的にどういうときに感じたんですか?ストリートの人たちと話してて「この人教養がすごいな」って思うのは?

具体的な話はないんだけど、生きること自体にすごい真面目だった、みんな。

学校行ってその先を見据えてる人もたくさんいると思うけど、学校は将来何かになるために行ってるだろうし、その目標としてはお金を稼ぐためにほとんどの人が行ってるでしょ。ストリートで生きてる人たちってその日暮らしだから、お金を稼ぐことが終着点ではなくてただ「生きること」が終着点。その中にストリートで表現する音楽なり、絵とか、写真とか、そういう能力が含まれてる。具体的なものではないんだけど、生きることをよく話す人たちだった。

会話のレベルが違うんですね。

ある視点から見れば逆にレベルが低いのかもしれないけどね。

いわゆる意味のない、利益を生み出さない会話ですよね。

その意味のない会話がものすごい教養が高いと思ってて。何者にもなろうとしてない大人たちがかっこよくて。もうすでになんかになっちゃってんだけど、ただその人たちのゴールって、子供がたくさんいて、お金がいっぱいあってってゴールではない。もう大人になっちゃってるんだけど、そして当時僕は高校生だったけど、そういう人たちの歌う歌にものすごく感動してた。

それってすごいなって思うのは、みんなが知ってる歌だからとかじゃなくて、その場で酒飲んでぐでんぐでんで作った歌が素晴らしくて、でもそういうものってそういう人生を歩んできた人じゃないと歌えない。そんなパッと生まれてくるものじゃないから。

それが僕が思った教養の違い。話してみて得られるものがぜんぜん違った。高校戻ったら仲いい連中とそういう話できるからそれはそれで楽しいんだけど、普通にクラスから聞こえてくる話ってそんなものではないし。

高校生が生きることについて話す機会ってないですよね、普通の高校生は。

なんかのときにそれを真面目に話したら、全然興味なさそうに聞いてる同級生を見て、なんか「ここにいちゃいけないな」と思った。

自分の適性を見つけること

逆にどうなったら学校も、、、でも学校にそういう教養を求めるものでもないですよね。

僕はそう思ってる。だから学校が居づらいと感じてる人たちは逆に頭がいいんじゃないかな。

「自分が居る場所ではない」とかそういうことがまず発想として出るんだったら、それに気づいてないかもしれないけど、何かしら人と違うわけだから、だからそれは何かの正解がきっとあると思ってる。

学校に通うと学校が基準みたいになりますよね。学校に行くのが当たり前で、週5日全員同じことをする、それが普通になるっておかしいですよね。小学校までは基本的な勉強が必要だからいいと思うけど、中高は行きたい人以外は行かなくていいんじゃないかって最近思います。特に大学卒業してから、あれなんだっただろうって。

学校教育の方にもいろんな問題があるとはずっと思ってて、学校で授業やらしてもらってるときにはそういう話もしたりする。

実際は特に中学校とかだと、その人が好きなものを見つける授業ってなんでないのかなって。

ないね。

だから適性みたいなのを探す努力を学校側がしたら随分変わるんじゃないかな。見つけるのは難しいけど、絶対あるから、適性は。

就活になって急に求められますけどね。笑

あれはもう能力が凝り固まってるからね。そうじゃなくて、まだまだ自分のことがよく分かってない世代の中学生とかに、得意なことを聞いてほしい。みんな「ゲーム」っていうかもしれないし、「じゃあゲームだったらどういうの」っていうのを聞く。

やるのが好きなのか、作るのが好きなのか。

見るのが好きっていうのもあるから、今。ゲームやってる姿見るのが好きっていう。ゲーム配信見るのが好きって言ってる人はすごい動画編集うまかったりするし。

それを生かせる場所ではものすごい特性ですよね。そういう授業あったらよかったな。

それはすごい思う。それができなかったから旅で見つけるしかなかったっていうのもあって。旅が先生だった。

いい言葉!!

旅で得たもの

「旅で得たもの」を聞かれたらなんて答えますか?

旅で得たものってなにもなくて、どんな境遇でも生きていける強さしかないですね。だから逆に何やっても大丈夫っていう勇気はもらえた。

あれより落ちることはないと思える。無一文で何ヶ月も生活できたわけだから。お金だけで言ったら、旅してる時より下はないわけで、それより苦しくなることはないから、何して失敗しても大丈夫でしょっていう。

それがあるだけでもだいぶ違いますね。

だいぶ違う。だから何にでも挑戦できるし。

一回最低を味わっておくといいのか。

その指標でもあるなと思ってて。あれほど辛いことはたぶん、めちゃくちゃ楽しかったけど、楽しいだけじゃ片付かない現実がやっぱあって。めちゃくちゃ大変だから。あれより辛いことは人生拷問くらいしかないでしょと思ってる。

どういう時が辛かったですか?

お金が0円だから、何も食えないし。「お金がない」って言ってる人とはレベルが違って。

たしかに。イラっとしそうですね笑

特に大阪の心斎橋とかで歌ってる時とかは、その辺がきゃっきゃしてる人たちが毎日通ってるから、「今日超金ねーよ」みたいなのが聞こえてくるんだけど、「レベルがちげーぞ」って。それこそ何日も食わずで歌わないといけなかったりとか。100円も入らないって時もあって、「ほんと死ぬ」って思って。朦朧としてくるし。だからその「死ぬ」って感覚は辛かったな。

あとは高校生で若いから対処がわからないこともたくさんあったし。ヤクザに絡まれても「これはなにが正解なんだ」ってこともあったし。 

ヤクザに絡まれた時は、大人でもどうしたらいいかわからないです。

逆に慣れてきちゃって。だから大人よりそういうものには耐性があったけど。

普通の大人はヤクザに絡まれないですけどね。

そうだね。笑

次回は今の大野さんの本業である、カメラマンについて。旅で出会った方に影響を受けて写真に興味を持った経緯や、カメラ業界の話などを話していただきました。お楽しみに!

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA