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【新卒で海外就職】ベトナム在住・日本人保育士|伊藤沙知さんインタビュー

こんにちは!ベトナムの寺内です。

今回皆さんにご紹介するのは、新卒で海外就職し、そのままベトナムへ移住された伊藤沙知(いとうさち)さんです。沙知先生は現在、ベトナムの日系幼稚園で保育士をされています。

なぜ海外へ行こうと思ったのか?移住のきっかけは?海外の幼稚園ってどうなの?など、海外に興味があったり、これから海外に出たい学生さん必見の内容となっています!

伊藤沙知さん

沙知先生と愛犬のゆずちゃん

1993年生まれ、名古屋出身。東邦大学教育学部子ども発達学科卒業。

大学在学中に2回の短期留学をし、2015年、大学卒業後はタイの日系幼稚園へ新卒入職。その後、タイのインターナショナル幼稚園を経て、2021年にベトナムの日系幼稚園へ。現在に至ります。

今回はそんな沙知先生から貴重な話をたくさんお聞きすることができました!

シアトルでの短期留学時代

フィリピン留学時代

──大学時代に2回海外留学をされたそうですが、どちらに行かれたのですか?

沙知先生 アメリカのシアトルとフィリピンのセブへ行きました。どちらも短期留学です。

──初めての海外、シアトルはいかがでしたか?

沙知先生 ホームステイをしたのですが海軍に勤めてるお父さん、家で内職しているお母さん、当時中学生の娘、小学校低学年の息子と大きいピットブルと柴犬がいるお家でした。

初めて日本語が一切通じない場所に一人で来たので、感動と悲しみと寂しさと好奇心が入り混じった感情でした。

──あちらでの生活ぶりはどうでしたか?

沙知先生 ホームステイ先のお母さんが料理が全く出来ない人で、ピザ・ステーキ・ハンバーガーと本当にジャンクフードばかりの朝昼晩でした。滞在中は一切野菜というものを口にする事はなく、便秘に(笑)。日々お腹を抱えていたのですが、やはり日本ではないので、「どうしたの?」など聞いてくれることはありませんでした。

凄く勇気を出して、「ウンチが出てなくてお腹痛い」と日本語混じりの英語でホームステイ先のお母さんに伝えました。すると何となく理解してくれて、大量のプルーンを買って来てくれました(笑)。渋々食べていましたが、便秘はあまりよくなりませんでした(笑)。

──大変でしたね(笑)。学校の授業などはどうでしたか?

沙知先生 日本の授業と明らかに違ったものは、生徒がみんな授業に参加していることです。先生の質問に生徒みんなが答えて反応するなど、授業が毎日楽しかったです。

日本ではあまり見ない、学生が興味を持つような授業や講義をしようとする先生が多いと思います。授業内容は難しかったし、全く分からない時もありましたが、生徒と先生が話してる英語は何となく理解が出来ました。

英語が理解できるようになった瞬間

──英語に慣れてきて変わったことはありましたか?

沙知先生 ある日、留学中にホームステイのお母さんと買い物へ行った時に知らないおばあちゃんが話しかけて来て、「スパゲッティのトマトソースを探してて缶詰めトマトソースが欲しいけどどこの棚か分からない?」と聞かれました。

一緒にトマトソースを探して、見つけて、「ありがとう」と言われた時に気付きました。英語が理解できた!!と。とても嬉しくて、泣きながら走ってホームステイのお母さんへ「英語が理解できた!!」と報告しました。お母さんは苦笑いしてましたが、それから何となくその場の雰囲気や空気を読みながら聞き取ってきた英語が、突然聞き取れるようになっていました。

また当時ホームステイの娘さんが大好きだった?流行っていた?テイラースウィフトの曲“I Knew You Were Trouble”が毎日の車の中で流れていて、ある日、その曲の内容が理解できるようになったのにも感動しました。今でもその曲を聞くと留学してた時の記憶が鮮明に思い出せます。

フィリピン留学は2週間で帰国

──2回目に行った、フィリピン留学はいかがでしたか?

沙知先生 それが…セブ島に半年間の留学予定だったのですが、現地でデング熱に罹ってしまい…。病状が酷く、行って2週間で帰国しました(笑)。

──ええ!?治療後はセブに戻られたのですか?

沙知先生 戻りたかったのですが、その後フィリピン中部で大きな地震が起きたりで、戻れず…。学生時代の留学はそれで終わりました(笑)。

新卒で海外就職!タイ→ベトナムへ

タイ1年目、22歳のとき

海外就職のきっかけ

──新卒で海外就職することにしたきっかけは何だったのですか?

沙知先生 はじめは日本で就職しようと思っていました。でも留学のゴタゴタで、就活しようと思った時には既に出遅れていました。大手幼稚園などの採用はもう終わっていたり、少子化の影響もあって、就職先がなかなか見つかりませんでした。

「どうしよう?」と思った時に、やっぱりずっと憧れてた海外に行きたいと思い、海外就職にシフトしました。

──どのように海外就活されたのですか?

沙知先生 大学のキャリアセンターなどを見ても、海外就職の前例がありませんでした。「なんでもいいから、とにかく海外!」と外資系企業のあらゆるジャンルの企業に面接に行きまくりましたが「保育士関係の勉強をしていて、なぜこの企業を選んだのか?」と聞かれてもうまく答えられず…(笑)そんな時に知人から海外の日系幼稚園の求人の話を聞き、「海外で保育士になればいいや!」と思いました。

それからはどこの国でも手当たり次第電話しました。海外の日系幼稚園をターゲットにしていたので、日本語で電話をして、電話で日本語が通じなかったら日本語と英語でメールを送りました。

──行きたい国は絞られていたのですか?

沙知先生 英語圏に行きたかったのですが、ビザの取得基準や英語レベルも達していなく難しいと感じました。そのため、とにかく海外!と上記電話作戦を続けていたら、タイ・バンコクの日系幼稚園がトントン拍子に進みました。

──面接などはどのようにされたのですか?

沙知先生 タイの幼稚園の園長先生の知人の、日本の幼稚園の園長先生が代理で面接し、採用が決まりました。

──なるほど。無事にタイでの就職が決まったのですね!

沙知先生 でも私、大学の卒業がギリギリで…(笑)。留学の費用は自分で出していたので、留学のためにバイトをし過ぎて単位を落としていたのです。バイトを4つ掛け持ちしたりしていました。

就職は決まったのに、卒業は確定していない状態でしたが、留学が奇跡的に単位化してもらうことができ、なんとか卒業は確定しました。そして2015年3月に卒業し、4月にタイ・バンコクへ移住しました。

紆余曲折あったタイ生活

毎日通っていたタイの屋台。ここでタイ語を覚えたそう。

──新卒でタイの幼稚園へ入職されてどうでしたか?

沙知先生 現地の日系幼稚園は日本人の保育士さんがメイン、サポートはタイ人のスタッフという感じでした。2歳児クラスの担当で、仕事自体は充実していたのですがお金の面で問題があり…

──日本でも問題になっていますが、低賃金だったとかですか?

沙知先生 いえ、その園の方針で、新卒だと給与が満額もらえないことが入職してから判明しました。

──!?どのくらいの額だったのですか?

沙知先生 話に聞いていた貰える予定額の1/5の給与でした。新卒で何の知識もなく、また「自分の給与は人に言ってはいけない」と上司にずっと言われてたので、「そういうものなのかな?」と思ってしまっていました。

──ブラック企業ならぬブラック幼稚園ですね…

沙知先生 あまりにも生活が苦しかったので、同じ幼稚園の先輩に相談して、それが異常だと気づきました。そして入職して翌年1月頃に「お給与を満額欲しい」と上司に話すと、「今日でクビ。明日には国から出ろ」と言われました。

──酷いですね?!

沙知先生 どうしようもなかったので、一旦日本へ帰りました。その3ヶ月後にお給与の相談をした先輩も辞職し、バンコクで新規オープンするインターナショナル幼稚園に働くことになり、その園に私も紹介してくれたんです。そして2016年6月にまたバンコクへ行きました。

──そちらの園は大丈夫でしたか?

沙知先生 各国から来た先生がいる、カナダ人経営のインターナショナル幼稚園でお給与面も仕事面も充実していたのですが…

──何があったのですか…?

沙知先生 途中で経営者が変わって、先生が沢山辞めてしまったんです。私も園の方針などにあまり納得がいかなかったので、海外の別の幼稚園への転職活動を始めました。また手当たり次第電話作戦をして(笑)、ヒットしたのがドバイ・ドイツ・ベトナムでした。

──それでベトナムへ?

沙知先生 本当はドバイへ行きたかったんです(笑)。でも、タイからドバイへの航空券がめちゃくちゃ高い上に、1ヶ月の家賃や生活費など、初期費用が足りないことに気付いたんです。それならドイツに…とも思ったのですが、ドイツも信じられないくらい家賃が高くて、消去法でベトナムに(笑)。

──笑。

コロナ禍を経てベトナムへ

食事介助をする沙知先生(保護者撮影許可済み)

沙知先生 ベトナムの日系幼稚園の採用が決まりましたが、その会社は日本でもいくつか園を運営していて、日本でも保育士を少し経験してみないか?と誘われ、ベトナムへ移住する前に日本へ少し帰ることに。3ヶ月は東京の保育園で働き、1年沖縄で働きました。

そして「さあ、ベトナムへ行くぞ!」と思った2020年2月に、ベトナムが新型コロナウイルス感染症の蔓延を懸念し早々に国境閉鎖。名古屋の実家に帰って1年待ち、2021年2月にベトナムに来て現在に至ります。

──タイ・日本・ベトナムで働いてみていかがですか?

沙知先生 保育士として充実していたのは沖縄ですね。自分が“先生”という実感が湧きました。しかし日本での保育士は給料が安い、過重労働、社会的地位も確立されていないので、期間限定かなとも感じました。働きやすさはベトナムが一番ですね。

やりたいことがわからない10代へー誘われたら絶対行く

沙知先生 私はあまり自分から人を誘ったり、何かのイベントを主催するタイプではないからこそ、人に誘われたらどんなに予定が詰まってても、5分だけでも顔を出すようにしています(※)。出会いや情報は人が持ってきてくれるものだと思います。

※ただし怪しい勧誘には注意!

──海外に行きたい10代はどうしたらいいですか?

沙知先生 海外に興味のある方は周りに“海外に行きたい!”と言っておくといいと思います。海外が好きな人や住んでる人は行動力やコミュニケーション能力が高い人が多いので、直接の知人にそういう人がいなくても、人に言っておくことで繋げてくれる人が出てきます。情報も集まってきます。私の場合はそれが、海外で日本人保育士の求人があるという情報でした。

──ほかに、学生の方などに伝えたいことはありますか?

沙知先生 日本は文転・理転は本人の希望次第でできますが、タイやベトナムはそれが難しいです。タイの場合は神様(仏教)>王様>家族で、お寺の住職に言われて職業を決めたり(近年は変わりつつある)、ベトナムも小・中学生のうちに、割と将来を決めている子が多く、途中で文転・理転する学生は少ないです。そう考えると日本の学生は恵まれているし、自分次第で何にでもなれるので、やりたいことはしてみましょう!

また子供を産んだから海外に出られない、というお話もたまに聞きますが、教育者としては子供がいるからこそ子供にも海外を見せたらいいと思います。現代はYouTubeやサブスクも豊富ですし、どこの国でも学ぼうと思えば学べます。“から”ではなく、“だから”と思うようにしましょう。

“自分を愛すること”とは?

幼稚園にて(保護者撮影許可済み)

沙知先生 自分に甘く、人にも甘く!わがままに!というか無理をしないことですね。テレパシーは使えないので、痛い時やしんどい時、人に感じ取ってもらおうとするのではなく、どんどん言いましょう。

まとめ

実際に沙知先生の職場の幼稚園へお邪魔したことがあるのですが、園児のパワーの凄さに向き合う保育士さんは本当に体力仕事、且つ人の成長に向き合う尊い仕事だと感じました。

「困ったこともたくさんあったけれど、すんでのところでどうにかなっているんですよね」という沙知先生。貴重なお話、ありがとうございました!

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